三叉路の小高い丘の上に鎮座。
町中の三叉路の中心にあるというだけで、昔から変わらずここにあったことに真実味を持たせます。
義経北方伝説の説明看板。
当地方の伝説によれば、義経は平泉から北へ逃がれ八戸に上陸し、市内の高舘に住んだと云われています。その時義経は家来の常陸坊を京都へ派遣し、日頃信心している藤ヶ森稲荷を勧請することにしました。
京都の稲荷社から土を一握り持参させ、その土を埋めさせた所に作ったお宮が藤ヶ森稲荷です。それは建久2年(1191)の5月のことでした。
義経はしばしば高舘から参詣にやってきました。その時装束の烏帽子・狩衣などを置いた場所が烏帽子屋敷(ぼっち屋敷)の名前の起りと云われています。烏帽子屋敷は類家二丁目付近で現在の芭蕉堂公園。
不思議な木がありました。
中は空洞。
年中コタツ完備。