犬坂・へびだんだん (東京都品川区東大井)
梶原稲荷神社から小路を東に進んで行くと丁字路となり、犬坂の坂上に着きます。『この坂は、階段が造られるなど舗装整備されているが、曲がりくねった坂道であった。犬坂の由来は不明であるが、俗称の"へびだんだん"はその曲がりくねった有り様からそう呼ばれている。』坂上付近は急勾配となり、階段やスロープが設置されています。坂下。坂上にある元芝公園。ブログ村ランキング参加中
View Article八幡宮 (平川市館田前田)
かつての館田村。館田館(天正年間1573-1592)跡地の一画になります。旧村社である八幡宮は万治2年(1659)の勧請と伝えます。天保4年(1833)書上帳にも「八幡堂、長10間、幅4間」とあります。また、館田村には稲荷堂や権現堂、夷社が見えますが、明治初年に廃されたといいます。社殿扉には奉納者の名前などが色々貼ってありました。社殿横にも社号標。本殿。広い境内です。狛犬と奉納馬。石碑。境内拡張記念...
View Article藤ヶ森稲荷神社・類家稲荷大明神 (八戸市類家一丁目)
三叉路の小高い丘の上に鎮座。町中の三叉路の中心にあるというだけで、昔から変わらずここにあったことに真実味を持たせます。義経北方伝説の説明看板。当地方の伝説によれば、義経は平泉から北へ逃がれ八戸に上陸し、市内の高舘に住んだと云われています。その時義経は家来の常陸坊を京都へ派遣し、日頃信心している藤ヶ森稲荷を勧請することにしました。京都の稲荷社から土を一握り持参させ、その土を埋めさせた所に作ったお宮が藤...
View Article三嶋神社 (黒石市三島)
御祭神は大山祇神。法峠寺別院へと上る道の付近に鎮座。金属製の注連縄には鳥が二羽♪こちらの鳥居の神束には三島神社。三嶋明神の御神霊を安置し、永禄年間(1558-1570)に社殿五間四面の大社にして壮麗を極めましたが、天正年間(1573-1592)千如房という修験者が別当の時に失火のため社殿を焼失してしまいました。その後、多門坊という修験者が別当となりますが、卯の年の飢饉にて人々は死に絶え、一時御尊体を...
View Article小田子不動堂 (八幡神社 / 七戸町字和田下)
小田子不動堂は応永3年(1396)南部政光によって創建されたと伝えられます。明治の初年頃まではもっぱら小田子のお不動様として尊信されてきました。本尊は運慶作と伝えられる不動尊。小田子不動堂には八幡宮が合祀されています。七戸郷土誌によりますと「当町ノ西端向町に在り、応永13年9月の創建で、祭神は豊受姫大神・火産霊大神、誉田別命なり、明治6年廃止し、郷社神明宮に合祭し奉り、同12年12月復社許可、同13...
View Article縄掛け地蔵尊 (延命地蔵尊) & 稲荷神社 (黒石市上目内澤)
御祭神は倉稲魂命。車…通れないと思うけど(笑)軽トラならギリギリ通るのかな。目内沢村が上目内沢村と下目内沢村に二分されて成立しました。ちなみに下目内沢にも稲荷宮があります。阿奈猿田彦大神講中。読めない石碑。貞享元年(1684)11月に村中にて建立と伝えられていますが、古来より僅かの宮地があった所と言われています。明治4年の神社改正に付き、同6年5月10日に中郷村飛内の村社稲荷神社へ合祀し、その後同8...
View Article袰月魚籠観音 (魚籃観音 / 青森県東津軽郡今別町)
一の鳥居は草木が酷くてくぐれません(笑)袰月魚籠観音までは山道を登って行くのですが、車で上まで行けるのですぐ着きます。魚籠観音。中国唐の時代に魚売りの美しい女性がおりました。村中の若者たちはその美しさに次々と結婚を申し出ましたが、女性は観音経・金剛経・法華経を暗誦できる者に嫁ぐと告げます。若者たちは競ってお経を唱えました。そして、めでたくこの3つの経典を暗誦する者と結婚しましたが、女性は間もなく没し...
View Article鶴岡護国神社 (山形県鶴岡市馬場町)
明治28年(1895)創建。鶴ヶ岡城本丸の南西隅に鎮座。旧庄内藩主酒井忠胤が発起人。戊辰戦争、西南戦争の戦死者を祀ったのが始まりで、その後も日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、大東亜戦争で国家のために殉じた御英霊(4930柱)をお祀りしています。拝殿は江戸時代に造営された酒井家の御霊屋(10代藩主酒井忠器)を移築したもので大変貴重なもの。建物は入母屋、妻入り、瓦葺、塗り屋造りで、同じ山形県内にある新...
View Article花咲松 ・ 馬頭観音 (中津軽郡西目屋村)
大高森という場所にあります。目屋の発祥地といわれる場所。天平3年(731)に僧行基が訪れて千手観音を刻み大高森の岩窟へ安置と伝え、知名度が上がると参拝者の交通不便を考慮して桜庭村の清水観音に遷座したといいます。江戸参勤中、津軽の殿様が南部の殿様と自慢話で争い、津軽の殿様が全山真白に花の咲く松は津軽にしかないと自慢し、南部の殿様がそんな松があるものかと反論。南部の殿様が天狗鼻をあかしてやろうと訪れてみ...
View Article清水観音 ・ 多賀神社 (清水地蔵尊 / 弘前市桜庭)
御祭神は伊弉諾神。御本尊は千手観世音菩薩。津軽三十三観音霊場第2番札所。津軽子年の一代様。参道入口付近にある清水観音水。昭和62年度に県の名水に指定。二の鳥居。二の鳥居横に清水地蔵尊。その隣には社務所。入口からはずっと上り坂です。遥拝殿。参道には記念碑等があります。また参道脇には勢いよく水が流れており、登り坂ながらも清々しい気持ちになれます。多賀神社の創建は、大同2年(807)坂上田村麿の創建、又は...
View Article八幡宮 (青森市浪岡細野)
細野相沢地区にある八幡宮です。天文年間には苛沢と表記され、正保2年には藍沢、元禄3年には松沢村と見えます。相沢村の支村であった細野は平山日記(元禄3年)によりますと畑野村とも表記され、享保11年(1726)細野村として相沢村から独立。集落一帯からは縄文中期や大洞C1式の土器が出土しています。また、天正年間には細野館が存在していたと考えられており、本郷館と関連深いとされています。寛政9年(1797)、...
View Article白山姫神社 (鶴田町野木)
野木村はかつて木筒村と称しており貞享4年に改称(※同年に桑野木田村が木筒村と改称)。枝村の間山村に飛竜宮があり、御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、菊理姫命。元禄6年3月に再建。後に白山姫神社に改称。明治6年4月に廻堰八幡宮に合祀、翌年復社。境内にあった由緒。『一、祭神=伊邪那岐神、伊邪那美神、菊理姫神。一、鎮座地=野木下糺74番地。一、境内地積=1844㎡。一、草創=不詳。元禄6年(1693)300年...
View Article稲荷神社 (黒石市飛内字宮岸)
参道の途中に地蔵堂と大きな百萬遍の碑がありました。最初の鳥居を潜ってからU字型に進む参道。御祭神は倉稲魂命。漫画チックな表情が個性的な狐様。擬宝珠のような石柱。後ろ姿がたまらない狛犬。庚申塔。元和二年(1616)8月10日、飛内村中にて堂宇建立、初めて勧請。...
View Article熊野宮 (五所川原市梅田)
平山日記によりますと、寛永年間に開発され、下柏木村と称しており、貞享4年以降に梅田村と称しています。当初は横萢村の枝村でしたが、享保11年に独立。国誌によりますと寛永16年(1639)の創立。青森県神社庁並びに境内案内板によりますと、桓武天皇延暦13年(794)田村麿将軍の建立と伝えられ、寛永年間(1624-1645)当村開発の際に古社を崇めて産土神に。明治6年4月に村社。明治42年8月27日に神饌...
View Article猊鼻渓 舟下り (岩手県一関市東山町)
日本百景のひとつ…猊鼻渓。明治43年に佐藤猊巌らによって命名され、大正14年には国の史蹟名勝天然記念物に指定。見渡せば花も紅葉もなかりけり…ってことで、紅葉目的だったのですが少し早すぎたみたいです。されどもいとをかし…ってことで十分に楽しむことはできました。様々な奇岩が左右にあります…ってことで一部紹介。鏡明岩。藤岩。5月下旬が花の見頃。凌雲岩。毘沙門窟。幅5m、奥行30mの鍾乳洞で、毘沙門天が祀ら...
View Article名勝天然記念物 厳美渓 (岩手県一関市)
厳美渓は2度目の訪問。栗駒山を水源とする磐井川中流の渓谷。全長2kmにわたる渓谷美。昭和2年(1927)に国の名勝及び天然記念物に指定。古くは伊達政宗公も賛美した景色。空飛ぶだんご(郭公だんご)は前回食べたのでパス。渓谷に沿って散策路があります。下へと降りれる場所もあります。どことなく昭和を彷彿させるサハラガラスパーク入口。1度入ったことがあるので今回は紹介しません。ホームページをどうぞ。「サハラガ...
View Article神明宮 (つがる市木造出野里)
鳥居がいくつかあり、参道の途中で道路や堰で分断されています。御祭神は天照大神。合殿神として保食神。寛永9年(1632)4月16日創建。ちなみに西津軽郡史によりますと貞享3年(1686)創建。享和3年寺社領分限帳及び安政2年神社書上帳によりますと正徳6年(1716)の創建。正徳5年(1715)4月17日に末社保食神社を合殿神として合祭。明治6年4月に稲垣村豊川の春日神社及び同村沼崎の稲荷神社の2社を合...
View Article稲荷神社 (黒石市牡丹平字稲荷沢下)
御祭神は倉稲魂命。この日は霧で見えませんでしたが、拝殿を背にすれば鳥居から真正面に岩木山が望めます。青森県神社庁によりますと寛永8年(1631)6月10日、村中にて初めて勧請。明治初年の国誌によりますと宝永8年(1711)創建とあります。この地は寛文年間(1661~1672)黒石2代領主津軽信敏公が折々、御鷹狩りをなされた場所で、藩主代々常に崇敬篤く、社堂建立され、同時に御饌米として一ケ年白米一俵宛...
View Article三ツ館八幡宮 (つがる市木造)
鳥居がずらりー!御祭神は誉田別尊。元文元年の検地帳に八幡社地が見えます。検地水帳によりますと、貞享時代に「宮建有之小野和泉大夫抱」とみえ、お宮が建立され、小野和泉大夫が祭司をしていたことがわかります。明治6年に一時期、床舞村八幡宮に合祀され、同7年にに復社、同8年村社。明治42年2月に神饌幣帛料供進に指定。唐獅子石燈籠寄付者名を刻む碑(大正8年6月15日)。馬頭観世音。庚申塔等。ブログ村ランキング参加中
View Article大鳥(鳥沼)大明神 & 蒼前社・稲荷社 (三戸郡五戸町倉石石沢)
大鳥大明神を目指す途中に立派な注連縄の鳥居を見つけました。地図には蒼前神社とありました。社殿には蒼前社と稲荷社の両方の額があります。南部地方に多い蒼前。津軽地方では馬の守護神として馬頭観世音がほとんですが、南部地方では蒼前神が多いようです。惣前、蒼善、正善、惣善、相染、宗前、などと書く場合もあり、そのいわれについては様々な説があります。不自然な石の上に積もっていた枯葉を避けたら十和田の文字が見えまし...
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