御祭神は譽田別尊、天照皇大神、軻遇突智命。
かつての参道は飯詰川がある拝殿正面方向だったそうです。寛保2年7月の飯詰川の洪水では町家40軒余が流失し、人馬多数が死亡したといいます。
創建は弘治元年(1555)、大房村の舘主樺澤団右衛門が勧請。
一時は荒廃しましたが承応元年(1652)飯詰本村の鎮守社として再興され、参拝に不便なことから宝永2年(1705)に現在地に遷座し、元々あった愛宕宮と合祀し、上愛宕宮と称します。
安永3年(1774)飯詰組(27ヶ村)の祈願所になります。
明治3年に愛宕宮を合祀、明治4年に八幡宮と社号を改称。
明治5年に飯詰村別社神明宮を合祭、明治6年に石田坂村白山姫神社合祭。
幕末には平民毛利八郎太、医師三上玄隆、菊地元などによる寺子屋がありました。
神官松野博による寺子屋は明治7年、八幡宮拝殿を利用したそうで、後に飯詰小学へ引き継がれました。
本殿は宝永2年(1705)建築、宝暦元年(1751)改築・再建、昭和23年改築。
宝永2年及び宝暦元年の棟札写しが社蔵記録として保存されています。
土台に円柱を立て腰貫を通し、2段の切目長押を廻し、内法長押、頭貫、木鼻と組み、出三斗、蟇股を置いて軒桁を受けています。
軒は二軒繁垂木とし、妻飾は虹梁に太瓶束となっています。
浜縁や高欄・正面扉など後世の改造とみられる箇所があるものの、向拝柱に粽が付けられているのも珍しく、素朴な造りながら、各所に優れた手法が示されており、江戸時代中期の当地方の神社本殿建築の遺構として貴重なものとして、平成6年青森県重宝に指定。
境内に綺麗な花壇が整備され、紫陽花などの花も植えられています。
お名前を伺うのを忘れましたが、おばあさんと言うには失礼なくらいお若いおばあさんが、山神を大切にする心を今も忘れず、境内をいつも綺麗になさっています。この日も元気に草取りをされており、色々と神社にまつわる話を聞かせて頂きました。ありがとうございました♪またお会いしたいのでいつまでも元気でいらしてくださいね。
摂社の大山祇神社です。
かつてはこのような建物がなく、左下に見えます黒くて大きな石を御神体として祀っていたそうです。
いいねぇ~こういう企画♪現代寺子屋的!今でも地域社会の中において、きちんと機能している素敵な神社という印象を受けました。