御祭神は菅原道真朝臣命。旧村社。創建不詳。
神仏習合の名残りを残す両部鳥居の稚児柱部分だけが未塗装でした。
こちらは消防に関する碑でした。
縁記修験道由緒に 「……、 慶長八年、 津軽信智公再建…」 とあり、 更には、 「兼平天神宮醫王山教円寺薬師堂大重院。 当社者菩跡也。 ……爰、 前土佐守信義公、 為御立願施、 正保二年……御造営……」 とあります。
明治一統誌神社縁記録によれば 「兼平村字兼平山、 天満大自在天神、 菅原道眞公、 天保二年、 津軽信義公再建」 とあります。
『当天満宮は天神様として親しまれ、兼平とは昔から不離一体の形で伝承されている。「大行院文書」の伝えによれば、兼平天満宮は弘安年中(1278-1287)現在の弘前市富栄より兼平左近という武士が当地に遷座して祀ったとされ、代々修験道の持宮であり、湯口教円寺大重院が別当であったという。慶長8年(1603)津軽為信が再興して社殿を修理、春明きの祭りとともに悪疫退散を祈願。正保2年(1645)3代信義が神楽殿を造営している。道真の学識と能書にあやかり、学問の神とされ、深く信仰され親しまれてきている。地内には、安永2年(1773)の高麗犬がある。』
元禄15年(1702)には菅公800年祭が行われました。
明治6年4月村社。
明治40年4月19日神饌幣帛料供進指定。
昭和21年6月1日法人令による宗教法人。
安永2年(1773)の高麗犬。
紀年銘は右前足にあります。
拝殿。
拝殿内。
本殿。
卯年生まれの一代守本尊として津軽全域から深く信仰されています。
賽神。
こちらは筆塚。
苔が凄いのですがかろうじて読み取れます。
その他様々な石碑。