旧岩木町植田。入口にある「石割ナラおよびハリギリ」の案内。
『ナラ…樹高約16m、幹囲2.9m、樹齢約250年。ハリギリ…樹高約16m、幹囲0.8m、樹齢約100年。ナラは、巨大な岩の割れ目に芽を出したもので、植物学上はコナラである。青森県内でもこのような例が2~3確認されているが、珍奇な形状をしているので大切にされている。また、ハリギリは比較的津軽地方の神社に見かける樹木であるが、野生もめずらしくない。つい最近まで、これらの樹木が薪炭材として利用されてきており、その大切さの証としてこの2本も守られてきたものである。』
入口にある馬頭観音。
草がのびていると道がわかりにくいかも知れません。下の写真付近を目指します。
途中にある木。
その麓にポツンと庚申塔(紀年銘明和)が建っていました。
「高天原神留座猿田彦大明神」と刻まれています。
よく見ると草木の中にちゃんと石段があるんですね。
石割ナラおよびハリギリに到着。
想像していたより凄いです。
岩の上に乗っているみたい。
巨石の割れ目。
見る価値あります。
木の麓にあった…貝殻をあしらった不思議な石。
馬頭観音の石碑と壊れた石灯籠もありました。
せっかくなので荒神山(105.9m)の頂上を目指します。尾根続きに北方は愛宕山です。
小さな山なのですぐ着きます。
三頭木っぽい木がありました。
根元を見たらやっぱり3つに分かれていました。
その三頭木の裏を見てみると墳墓のような土盛りがいくつかありました。
荒神山頂上並びに斜面には荒神山遺跡があるといいます。
頂上の平地は南北約168m・東西約64mで、竪穴住居跡九戸があり、空堀をめぐらし、更に下方に階段状に山肌を削った二重の空堀が認められるそうです。斜面には多数の墳丘状盛土(直径3-5m、高さ0.5-1.5m)があり、中世の墳墓とみられています。明治時代までは104基あったそうで、九十九森と呼ばれていました。縄文時代中期の土器、平安時代のものと思われる土師器・人骨、若干の経石、中国銭43枚(永楽通宝、淳化通宝、皇宋通宝、元豊通宝)等が出土しています。中世には安東氏の館があったと推測されています。
土盛りの上には小銭がたくさん散らばっていました。
一度、荒神山を下りまして…
荒神宮へ。
参道。
社殿。元禄15年(1702)の堂社縁起修験道由緒によりますと、荒神山中腹に三面荒神(台座の銘に元禄2年8月源朝臣佐野権左衛門正弼の寄進とあるそうです)が祀られていますが、明治5年に廃絶し、御神体は荒神山西麓の宮地村の白山堂に移されたといい、近年になって再興されて御神体も戻されたそうです。
社殿前の地蔵。
社殿内。中央に徳川葵と岩木山神社の神札が見えます。更に「東軍徳川家康」、「東軍井伊直政」、「東軍黒田長政」とあります。
社殿横の祠。
中には小さな弘法大師がおりました。
荒神山遺跡保存会による由緒書きがありましたが一部破損していたので読み取れる部分だけ紹介…『(省略)…屋外に祀る荒神で一族や部落の神として信仰され、又土地を開拓した祖霊を祀る神とも結びついている。その名の通り荒々しい性格の神で佛宝(仏陀)法宝(教法)僧宝(修行者)即ち佛、法、僧を守護し一面又は三面六臂…(省略)…明治38年(1905)創建。昭和46年5月』。