$ 0 0 とても狭い境内地で、車だと見逃してしまいそうな感じです。貞享4年検地水帳によりますと村抱えの稲荷社地12歩がみえますが、明治初年に廃されています。字亀井の稲荷宮は豪農今井家の内神で、明治年間になり村の産土神となりました。社号標に刻まれる社掌・発起人にも今井家の名が残っています。ブログ村ランキング参加中