東は目屋川に面し、北は中野村、南は田代村、西は杉ヶ沢村接します。
中畑村の稲荷神社。その入口と逆方向にも鳥居がありました。
少しだけ行ってみましたが何もありませんでした。
この木凄い。
天文年間(1532-1555)の津軽郡中名字の鼻和郡内に中畑とあります。また津軽一統志に古城の所在地として中畑が記されており、中畑惣助が同城に居住したとあります。
舊軍人帝国軍恩會。
記念碑等。
今上天皇御即位記念碑。
庚申塔。
長い石段。
中畑村の稲荷神社の御祭神は倉稲魂命。
創立年代不詳。
貞享4年検地水帳によりますと、中畑村字泉に2畝歩の宮地(惣染宮)だけがあって建物は無く、隣村の杉ヶ沢村に稲荷宮がありました。
正徳元年(1711)の寺社領分限帳によりますと、杉ヶ沢村稲荷宮が中畑村稲荷宮となっており、社司は最勝院寺庵徳恩寺神主十太夫。
宝暦9年(1759)には吉田家不登録の神社として中畑村稲荷宮とあります。
当中畑村稲荷宮は杉ヶ沢堂の沢にあり、杉ヶ沢村・中畑村・番館村・中野村の管理でした。
天明の大飢饉から立ち直りつつあった寛政3年(1791)4月に国吉村長覚院持ちの稲荷宮(山伏の総元締大行院配下。社司宮本信濃)を中畑村稲荷宮として再建する許可がおり、祢宜町の宮本右門を京都吉田家へ登らせ、右門は修行後に官職名山城と認定。
享和元年(1810)8月に中畑村、中野村、番館村にて再建。その際に中野村稲荷講中は弘前鍛治町に大鍋を注文して寄進。棟札表には「大別当金剛山最勝院兼密乗院権僧正朝胤 欽言 奉再建稲荷宮一宇」裏には「国家安全五穀成就之処 神主宮本山城」とあります。
明治6年に桜庭村の多賀神社へ合祀されますが、明治8年復社、同9年12月村社に列格。
石灯籠にも2対の狛犬がいます。
キュートな狛犬です。
角度を変えて。
少し戻って参道途中の末社ゾーンへ。
天保7年(1836)4月15日の幸神。