御祭神は天照皇大御神。
柳島村(現江東区亀戸及び墨田区錦糸・泰平・横川・業平の一部)総鎮守神明社。
応永10年、慈雲山龍眼寺の開山沙門良傳が再建。
良博の夢にて観世音菩薩が現れ、堂の下に御本尊と御神体があるとお告げになったと伝え、その御神体を祀って神明宮にしたと云います。神像は聖徳太子作と伝えます。明治の神仏分離によって柳島村社天祖神社に改称。
現社殿は戦火の中東都にて唯一焼失を免れ、御神徳により何百人もの命を救ったといいます。大正10年に企画されたもので、関東大震災を経て昭和4年に日本最初の防災建築にて竣工。内部は総檜造で外部は鉄筋コンクリートという金庫造りは神社として前例がなく、当時は画期的な建築物であり、後に日本中の神社にて同工法建築が採用されたといいます。
御由緒。
『天祖神社は、社殿によれば推古天皇の治世(593-628)の創建で、その後、衰退していたのを応永10年(1403)に復興したと伝えられています。天正年間(1573-1591)に疫病が流行し、この時織田信長の使者が参向して流鏑馬を献じたところ、疫病は治まったと言われています。今日では子供の健やかな成長を祈って、毎年9月16日に子供歩射(流鏑馬神事)が行われています。亀戸七福神のひとつ(福禄寿)として親しまれています。』
二の鳥居。
二の鳥居の下に復興祈願第二鳥居鳥居修繕奉納者芳名碑。
狛犬。
天水桶。
国威輝八絋碑。
道祖神。
童地蔵がたくさんいる境内。
御由緒からして子供が健やかに成長することを祈ったものでしょうか。
全部で46体いるらしいです。
木化石と童(めぐみ)。
手水舎は四方の蛙股に四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が彫られ、童(こころ)がいます。
遙拝碑。
江東区有形民俗文化財の力石。
三拾六貫目…約135kgか…片手で十分。
福禄寿。
亀戸七福神です。
御神木くすの木。
太郎稲荷神社。
御祭神は宇迦之御魂大神。
配祀は福寿稲荷大神・子安稲荷大神。
由緒。
『太郎稲荷神社は和銅4年に伏見稲荷に鎮座せし大神の分祀にして徳川時代立花家(大名)代々の守護神であったものを江戸末期天祖神社(旧称神明宮)境内社とし奉祀今日に至ったものである。今般電気化学本所工場廃止に伴い同工場の守護神であった福寿稲荷子安稲荷及玉垣灯籠鳥居等を境内社の神域の一部とし移動配祀したものである。昭和45年卯月』
狐の毛並みが繊細でとてもリアル!
社務所。
古札納所。
神輿庫方面へ。
神輿庫。
神輿庫の間にひっそりと招魂碑。
『東京大空襲(昭和20年3月10日)の折、東京は大火災に見舞われ、氏子一帯も火の海と化しました。その際、焼失を免れた現社殿にて数百の命が助かり、町中ではその何倍もの命が失われました。亡くなられた方々の亡骸は普門院に安置され、御魂はこの地に祀られました。10年の時を経て前一の鳥居の柱(片方)を用い建てられたのが、この石碑です。もう1本は復興記念の碑(手水舎北脇)として平和の祈りと共に再び建立されました。現代の豊かさも、過去のこうした犠牲の上に成り立っています。我々もこのような忠実を忘れずに後世に伝え、未来の為に感謝の心と平和の祈りを絶やさずいたいものです。』