中泊メバル膳
青森県の新ご当地グルメが話題です。「深浦マグロステーキ丼」「平内ホタテ活御膳」「中泊メバル膳」「田子ガーリックステーキごはん」スタンプラリー…4つとはいえ、田子がなかなか厳しいです(笑)でも個人的には田子ガーリックステーキごはんにかなり惹かれます。今回紹介するのは中泊メバル膳です。中泊町は高級魚メバル(ウスメバル)の水揚げ青森県ナンバーワンです。正式名称「中泊メバルの刺身と煮付け膳」。固定式刺し網漁...
View Article大山祇神社 (平川市碇ヶ関)
国民の祝日、初「山の日」です。ってことで大山祇神社を紹介。山の恩恵に感謝!さて、碇ヶ関の大山祇神社は羽州街道(国道7号線)沿いに社号標があります。社号標の他には戦役紀年碑(明治37-38年)、葛原直叙翁碑(文堂高山如禅静敬書)。大きくて立派な石燈籠が一対ありますがいずれも崩れています。正面の建物。中には綺麗に化粧された地蔵様や人形が祀られていました。水子地蔵っぽい雰囲気。その建物の裏に階段が続いてい...
View Article招魂堂 (五所川原市金木町)
芦野公園内にある招魂堂です。手洗鉢。石灯篭一対。招魂堂拝殿。昭和15年10月31日建立。「昭和14年10月31日、日華事変に出征した金木町出身の軍人14名が戦死した。帰還した軍人たちは、再度応召の場合、再び郷土の土を踏むことはないだろう。招魂堂建立は亡き戦友の冥福を祈るためではあるが自分らもやがては無言の凱旋をするかもしれない。それで招魂堂を建立する議を起こした。当時の町長、高橋良三郎氏、金木町在郷...
View Article砂沢遺跡 (弘前市)
遺跡は藩政時代の灌漑用溜池の中に水没しております。冬から夏は見ることができませんが、夏から秋にかけて姿を現すそうです…って、夏なんだけど!(笑)秋に行けば確実ですね。この日は晴れていたのに、着いた瞬間に車から降りれないほどのスコール!もちろん岩木山も見ることができませんでした。晴れていればこんな感じ。ジェンヌ姉さんの写真。『津軽ジェンヌのcafe日記』出土品の砂沢式土器は藤田記念庭園考古館で見ること...
View Article藤滝 ・ 藤の滝 (五所川原市金木町)
青森県五所川原市金木町喜良市。湯の川林道を小田川ダムに向います。藤滝。三方が断崖絶壁に囲まれており、ツツジや藤が咲く場所であることから「藤の滝」「藤滝」といいます。2段の滝となっており、上が雄滝、下が雌滝と呼ばれています。太宰の小説「魚服記」の舞台。皆さん、下まで降りて滝の写真を撮っているようですが、私には怖くて無理でした。確かに下から見た方が綺麗なのですが命の方が大事です(笑)滝の上はちょっとした...
View Article津軽森林鉄道 小田川鉄橋 (五所川原市金木町)
青森県五所川原市金木町喜良市。林道を小田川ダムに向います。藤の滝よりも手前になります。通り沿いに小田川鉄橋が見えます。小田川鉄橋。日本初の森林鉄道の遺構です。明治38年、青森-内真部-喜良市間直線コースの津軽森林鉄道が計画され、翌39年に青森沖館を起点とし、内真部-蟹田-大平-今泉-喜良市間66.938kmの工事に着手し同42年竣工。同43年5月には機関車(米国製ボルドウィン車3台、ライマー機関車1...
View Article湯乃澤冷泉 ・ 湯乃澤地蔵尊 (五所川原市金木町)
青森県五所川原市金木町喜良市。林道を小田川ダムに向います。途中の三叉路に案内看板があります。この案内地図では右が小田川ダム、左がふるさと林道湯ノ沢線。つまり左に行けば湯ノ沢冷泉に着きますが、実はここを右(小田川ダム方面)に行くと最初の鳥居があります。最初の鳥居。本来の参道です。山道になりますが、綺麗に整備されており歩きやすいです。山に登って再び降りていきます。つまり山越えの参道です。って言っても大し...
View Article長坂賽の河原 (五所川原市飯詰)
山神神社のすぐ近くです。一見何もないような場所ですが、ここから(三叉路の中間)歩いて行きます。鳥居が見えてきます。冠木門っぽく見えますが、笠木が壊れただけで、たぶん鳥居だったんじゃないかな。更に鳥居。この先からは所々に積み石があるので足元に注意しましょう。地蔵堂。地蔵堂の後ろに西院川原塔。慶應年間(1865-1868)に三上定助が田地を開墾中のある晩に不思議な夢を見て、その翌日に田地から古い地蔵尊を...
View Article白旗神社 (神奈川県鎌倉市)
御祭神は源頼朝公。例祭日は1月13日。『この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髻の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され頼朝公が篤く信仰していた。正治元年(1199)1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い多くの武将も参列した。その後鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続け、明治維新に際し寺は白旗神社...
View Article源頼朝の墓 ・ 法華堂跡 (神奈川県鎌倉市)
法華堂跡碑…『堂はもと頼朝の持佛を祀れる所にして頼朝の薨後其の廟所となる建保五年五月和田義盛叛して火を幕府に放てる時将軍實朝の難を避けたるは此の處なり寶治元年六月五日三浦泰村此に籠りて北條の軍を邀へ刀折れ矢盡きて一族郎等五百餘人と偕に自盡し満庭朱殷に染めし處とす...
View Article参照しているHP&BLOG
記事を書く上でお世話になることが多いホームページ&ブログの紹介です(順不同)。いつもありがとうございます。紹介の仕方が適当ですいません(笑)『空白つれづれ草~漂えど沈まず~』様特に板碑と遊郭と戦争遺跡!『とものブログ』様特にお祭りと写真と猫!『あおもリ湧水サーベイ』様特に湧水!『神社仏閣に癒しの音が響く』様特に秋田県の神社!『かしこみかしこみ』様特に津軽の神社の由緒!『津軽ジェンヌのcafe日記』様...
View Article飢餓供養塔 (弘前市湯口)
『藩政時代260年の間には、津軽の領民、とくに農民に対して大自然の猛威が襲いかかり、ほぼ4年おきに60数回の不作、凶作、飢饉があったといわれるが、その中でもとくにひどかった天明の冷害は、2年(1782)からはじまり、3年の場合は8月中旬まで殆んど快晴をみることなく、霜の降りるありさまで大凶作となり、翌4年も皆無作であったという。人々は食物を奪い合い、盗賊、殺人、放火が横行し、人間を食うなど飢餓地獄と...
View Article忘れじの岩木納豆
忘れじシリーズ特別編。板柳町の岩木納豆本舗。惜しまれつつも2014年2月をもって64年間の歴史に幕を下ろしました。私も個人的に大好きな納豆でした。岩木納豆まる。岩木納豆ひきわり。ブログ村ランキング参加中
View Article忘れじの弘前納豆
忘れじシリーズ特別編。創業74年、弘前市民に長年愛されてきた弘前納豆。2011年に健康上の理由及び後継者がないことから、惜しまれつつも廃業となりました。赤の包装紙は丸納豆。スーパーに当たり前のように置かれていた弘前納豆が突如消えてしまったことは実に淋しいことです。緑の包装紙はひきわり納豆。久々に写真を見ていたら食べたくなってきました。ブログ村ランキング参加中
View Article三厩神明宮 (外ヶ浜町)
外ヶ浜町字三厩本町。伊勢川を挟んで湊久庵の横に鎮座しています。車を停める場所はありません。御祭神は天照皇太神。石灯篭一対。神額は「鎮守太神宮」。社殿内は穴から見ることができますが、写真はガラスに反射して撮れませんでした。貞享4年(1687)の検地水帳によりますと、三厩村神明社地(10間×8間、宮建有之)とあります。貞享元年の田畑屋敷検地調によりますと、神明宮拝殿2間×3間とあるので、神社の勧請はそれ...
View Article乳井神社 (弘前市)
旧社格郷社。乳井神社。一の鳥居(宵宮ver)。宵宮なので写真が暗くてピンボケしているのはご了承ください。参道。二の鳥居が無くなってる。三の鳥。二の鳥居が無くなったから二の鳥居か…。乳井神社の栞…『○御祭神…武甕槌之命(=毘沙門天堂)、経津主之命、天手力男之命(=戸隠大権現)○祭事暦…1月1日歳旦祭、1月5日(旧暦)五ヶ日祭(七曲がりの柳の杖で無病息災を祈る特殊神事)、4月3日祈年祭(春祭り)、8月2...
View Article曹洞宗 萬年山 青松寺 (東京都港区)
御本尊は釈迦牟尼如来。開基太田道灌公。江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、文明8年(1476)に太田道灌が雲岡舜徳に命じて創建。元々は麹町貝塚にあり「江戸貝塚青松寺」と称されていましたが、慶長5年(1600)に徳川家康公による江戸城拡張に際し、含海山と呼ばれる現在地に移転。移転後も「貝塚の青松寺」と俗称されていました。青松寺の俊徳和尚と増上寺の開山酉譽上人が法友であり、共に末永く寺門...
View Article小泊海岸林道片刈石支線軌道跡 (七つ滝 / 中泊町小泊)
以前の記事『七ツ滝(中泊町小泊)』津軽国定公園七つ滝…『ここは、本村の北東に位置し、津軽半島の先端部に近く、日本海の激浪により造りだされたものです。山岳からの清流が七段の断崖に落下して涼を求める人の足をとめるところ。』美しい滝です。滝の右側に階段があります。ほとんど崩れていますが。その階段を上って行くと、七つ滝を横切るように軌道跡があります。この近郊には至る所に軌道跡がたくさん残されていますが、滝の...
View Articleみちのく松陰道 (中泊町-外ヶ浜町)
中泊町小泊から算用師峠を越えて外ヶ浜町三厩算用師地区に抜ける山道です。片刈石林道。傾り石(片刈石)。特に説明は無かったけど、地図にも載っていましたし、たぶん有名なのでしょう。写真では伝わりませんが、迫力ある光景です。みちのく松陰道案内板の位置までは、車で行くことが可能ですが、道幅は狭いですし、所々で木や枝が道側に飛び出ていますし、何より対向車が来たらすれ違うことは不可能なので、傾り石付近に車を停めて...
View Article曹洞宗 愛宕山 伝叟院 (曹洞宗大本山總持寺出張所 / 東京都港区)
江戸時代には愛宕山を中心に北端の武家地を除いたほとんどが寺院で占められていました。北から順に真福寺・長久院・真養院・玉蔵院・薬師寺・鏡照院・満蔵院・寿桂院・普賢院・金剛院。愛宕山参道を跨いで円福寺・吟窓(宗)院・考寿(光樹)院・伝叟(宗)院・清岸院と微小な寺院が櫛比し、そして青松寺・青龍寺と続いていました。真福寺・青松寺・青龍寺は現存しており、考寿院・清岸院・伝叟院は愛宕内で移転存続しています。伝叟...
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