切田八幡神社 (十和田市)
社号標裏面紀年銘(平成27年9月15日・願主氣田憲二)。二十三夜塔と三社託宣の碑。石灯籠一対(大正11年9月15日)。参道と鳥居。石灯籠一対(昭和12年3月5日)。切田八幡神社(境内案内板より)…『十和田市大字切田鎮座。御祭神:誉田別命(應神天皇)。例祭:9月15日。由緒:建久2年に南部光行公奥州下向に際し八幡宮を勧請諸所の崇拝を経て此地に鎮座せりと傳承する。後伊豆伊東氏の一族伊勢親安なる者由縁あり...
View Article瀧泉寺 ・ 目黒不動尊 ~其之壱 (東京都目黒区)
目黒は江戸のリゾート!ってことで、目黒不動商店街を通って目黒不動尊(天台宗泰叡山護國院瀧泉寺)を目指します。乗り物はこれです。仁王門前。伏見稲荷大神。有名な比翼塚。その前の石碑には「新東京名勝選外十六景 目黒不動」とあります。『傾城に眞こと無いとは誰が云うた まことありやこそ今が世に目黒にのこる比翼塚』...
View Article大鳥神社 (東京都目黒区)
目黒総鎮守大鳥神社。手水舎。社殿。現在の社殿は昭和37年に完成したもの。土砂降りの中の参拝(笑)拝殿向拝下。扁額には「武州大鳥宮」とあります。拝殿から見た境内。本殿。大鳥神社由緒…『●主祭神:日本武尊(景行天皇の皇子で、熊襲討伐、東国の蝦夷を平定。)、相殿神:国常立尊(日本の国開きの神様)、弟橘媛命(日本武尊の妃)。●御由緒:例祭9月9日に近い日曜日。景行天皇の御代(71-130)当所に国常立尊を祀...
View Article住吉ハリギリ (弘前市高杉)
住吉町会にある住吉身代地蔵尊。隣には公民館。高杉村は大道筋の西浜街道沿いに集落が発達し、昔から交通の要地でした。慶安2年道筋帳によりますと弘前城から1里半で弘前城下のすぐ次の宿継場であり、十腰内村まで3里。また、脇道として三世寺村から当村を抜けて八幡村へ至る道筋もありました。境内にあるハリギリが推定樹齢200年以上であることから、当地蔵尊の歴史もまた古いものと考えられます。扁額(昭和47年旧6月24...
View Article安田水天宮 (青森市細越栄山)
細越栄山の大きな沼から山道を歩いて行きます。入口に案内看板があります(入口前には駐車場もあります)。鎮座地は細越栄山ですが安田水天宮。雑草なども無く、参道は歩きやすいです。あれ?行き止まり!?って思ったら、ここから階段を下って行くようです。茂みから水の音が聞こえます。当湧水はとても古くから親しまれていたもので、昔は「てんがさの神様の水っこ」と呼ばれていました。昔ある殿様がこの湧水の噂を聞いて立ち寄り...
View Article花松神社 (七戸町)
花松神社由緒…『慶長2年の建立で、宝暦年間の御領分社堂に「小川目花村観音堂二間三間本山派別当三光」とあり、寛政年間の「邦内郷村志」に「観音別当秀光十三石五斗給分」とある。当社の前身は観音堂で馬頭観音を祀り祭祀していたが、天明の大飢饉に農耕・食物・家畜の守護神である「保食命」を勧請し合祀したが明治の神仏分離令により、主祭神を保食とし、社名も花松神社と改め現在に至る。近郷には藩政期時代から牧があったため...
View Article花松観音 (七戸町)
花松神社の境内・花松神社向かい(宮司自宅隣)にあります。鳥居をくぐって裏側に回ります。正面。石灯籠はほぼ崩壊していますが、紀年銘は残されています。天明元年かな。結構古いものですね。馬頭観世音(花松観音堂)。手水鉢。大きな布袋様。両脇には小さな大黒様と恵比寿様。(内御堂)第32番札所花松観音(現花松神社)…『鎮座地:上北郡天間林村大字花松。本尊:馬頭観音(明治以前の御縁日は毎月25日)。御鎮座:慶長2...
View Article木明馬頭神社 (野辺地町)
野辺地湾に面しています。木明地区の馬頭神社。由緒等は不明です。ちなみに『北奥道中図部分』(江戸時代)には木明・古明・明前・蟹田・有戸に神社が見えません。再建の棟札には「奉再建想善神御堂成就之攸」「嘉永七甲寅歳四月十九日別當僧都大正院廣松●●」「願主當村氏子中」などの文字が見え、所謂蒼前信仰であり、嘉永7年(1854)以前の創建と考えられます。馬に胡坐で乗っています。隣には稲荷の祠もあります。ブログ村...
View Article福城稲荷神社 (六六稲荷 / 千葉県成田市)
御祭神は宇迦之御魂神。創建不詳。かつての権現山の一部。通称は六六稲荷(ろくろくさま)。6月6日の大祭では成田駅職員も無事故を祈りに来るそうです。創建は成田山より古いと云われており、かつては当社を参拝してから成田山新勝寺に詣でたという情報をネットで見つけたものの、それ以外の詳細な由緒等は一切はわかりませんでした。神社自体はそんなに古い感じはしませんでしたが、何らかの形で古くから権現山に祀られていたのか...
View Article十和田神社 (五所川原市藻川)
藻川保育園と沼の間の小高い松林の中に鎮座。明治18年2月に雪どけのため岩木川堤防が決壊。これまでの小さな沼が大沼となりました。治水神として祀ったものと考えられていますが、以下のような由来が残っています。藻川の一戸勘七氏の夢枕に現れた神のお告げにより、ここに社を建て十和田大神を祀りました。神主、山伏を頼んでの台神楽を近村はもちろん、外ヶ浜まで回した宣伝が効き、広く参詣者が集まるようになります。旧4月1...
View Article舟打鉱山跡 (青森県)
岩谷不動尊・大山祇大神を通り過ぎて、沢田神明宮の前を通って屏風岩(高さ100余りの岸壁が幅600mにわたり屹立するとともに、学術的にも価値の高い北地系の植物が生育し、すぐれた自然環境と景観を形成。)を横目に進みますと相馬ダムに着きます。相馬ダム周辺にはみずべゾーン(親水広場・屏風岩展望所)、いこいゾーン(ダム展望所・岩木山展望所)、ふれあいゾーン(四阿、ふれあいの広場、遊歩道)があります。相馬ダムの...
View Article古峯神社 (十和田市三本木)
普通の田んぼの畦道を通っていきます。かなりわかりにくい場所ですね。当神社の由緒等はわかりませんでしたが、古峯信仰は栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原に鎮座する古峯神社(総本社)に対する信仰です。御祭神の日本武尊を火防、海上安全、五穀豊穣、家内安全、村内安全などの神として広く信仰しており、近世以降は関東や東北一円に古峯ヶ原講が設けられ、現在も栃木県内はもちろんのこと、福島県内には約2100の講、山形、宮城、新潟...
View Article外黒山稲荷神社 (外ヶ浜町)
東津軽郡外ヶ浜町蟹田外黒山に鎮座している稲荷神社。外黒山の麓に鎮座しており、こちらは所謂里宮で、外黒山の頂上に奥宮があるそうです。残念ながら登山道はわかりませんでした。でも御神体は里宮にあるそうです。御祭神は保食神。例祭日は10月8日。建立不詳。享保20年再建。明治6年に蟹田八幡宮へ合祀されるも翌7年12月復社。由緒も不詳ですが、文政5年頃に原始河川の蟹田川の氾濫により、現外黒山98番地付近に鎮座し...
View Article稲荷神社 (野辺地町小沢平)
小高い山の中腹に鎮座。参道は細いので右側に滑り落ちないように注意してください。社殿。社殿内。由緒は不明です。大正4年旧6月2日建立。屋号かな…神主並びに建立者として「上北郡野辺地町大字有戸∧一(山一)農場」とあります。昭和47年●月●日新築。平成11年8月26日新築。ブログ村ランキング参加中
View Article杉山神社 (弘前市百沢)
上弥生と同じく戦後の開拓。第二次世界大戦後、敗戦により食糧増産が急務となり、耕地開拓は国家的事業となり、岩木山麓では杉山、上弥生、羽黒、瑞穂、小森山、平和などの地区が開拓されて開拓集落となりました。つまりその後の創建と考えられます。弘前市常盤野の瑞穂神社や弘前市弥生の保食神社のように昭和に入って入植者により開拓された地区には産土神としての神社が祀られています。案内板がある大山祇神社の由緒からその背景...
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