平内町福館雷電岸。
社号標がよく見えず。せっかくかっこいい名前なのに(笑)
社号標裏面(皇紀二千六百年式典記念・昭和15年11月10日建立)。
石灯篭一対(昭和59年5月15日)。
郷社雷電宮御由緒(御祭神・御祭神御事歴・御由緒・祭典日が書かれていますが…見えにくい)。御祭神は別雷命。夏季大祭8月14日・15日。秋季大祭旧9月15日。御由緒は神社庁HPとほぼ同じ内容でした。青森県神社庁HPによりますと…『第五十代桓武天皇の御代、延暦二十年坂上田村麻呂将軍創祀と伝えられる◆往古蝦夷政策が進められた中に、征夷大将軍坂上田村麻呂公は東北経営にあたったが、奥州の夷賊高丸・大た基も・盤いわ具ぐ等が謀反し、妖術で官軍を苦しめたので、将軍神仏の冥助によって平定しようと多くの社寺を建立された。当社はその一社と云われる◆初め南部の某地に建立されたと伝えられるが、何時の頃にか東岳に祀られる。後東岳の社寺離散した時、荒田(今の盛田)に再建◆文禄二年、洪水の為祠宇流されて現今の地に漂着。文禄三年、福舘城主七戸隼人が此の地に遷座◆明治六年郷社に列せられる。明治二十四年現社殿竣工◆境内浅所海岸に飛来する白鳥を神使と崇める。また雷除の信仰も厚い。』
参道及び手水舎。
手水舎。
こちらの看板目立っていました。内容…『極まりない横暴(平成4年7月掲之)今、お宮は、狡猾な人達の功利によって、一方的に環境が壊され、且つ自治が阻害されています。白砂青松の境内浅所海岸俗化強行工事。神社を誹謗し、名誉を毀損し、圧力をかけての歩道橋に伴う歩道押付け問題。とりわけ神社の景観・存続に重大な影響を及ぼす社前汐立川埋立目隠し堤防計画は断じて許せません。心ある皆様の義力を結集し、斯る未曾有の暴政からお宮を護りましょう。お宮を護る会(雷電宮社務所内)』。松島に架かる歩道橋のことかな。ちょっと経緯がわかりませんが、景観は大事です、はい。
石灯篭一対(明治25年9月15日)。
参集殿。
参集殿前の神徳景行碑。
参集殿横の明宮殿下御婚儀記念碑。
御祭禮再興記念碑(大正15年8月・平内郷中)。
平成17年11月9日、落雷により上部を失った降電大杉(樹齢350年以上)。つい最近の話ですね。
避雷の神社に落雷…奇跡です。ある意味、この大杉が避雷針になってくれたと考えるべきでしょうね。
参道。
石灯篭二対。
狛犬一対。
昭和27壬辰年。
社殿(明治24年再建)。
明暦2年黒石領文知の際に造立しなおし、その後延宝元年に火災によって社堂並びに棟札縁起など焼失。翌年には藩の費用にて再建。明治4年頃に小湊神社と改称、明治6年3月村郷社に列格、大雷神社と呼ばれます。明治12年に雷電宮に改称。
向拝。
向拝神額。雷電宮の雷の字が旧字でかっこいいですね。
神楽殿。