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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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蟹田八幡宮 (外ヶ浜町)

蟹田にやってきました。松前街道沿い、東津軽郡外ヶ浜町蟹田田ノ沢に鎮座している八幡宮。相殿神明宮・熊野宮。一之鳥居の紀年銘は昭和58年旧9月15日。その横にあるのはかつての石鳥居かな。創建不詳ですが、国誌によりますと「祖神宮太夫寛文五年乙巳より社務所となり」とあります。天和元年(1681)1月、貞享4年(1687)検地水帳の記録もありますが、それより古いもので寛文3年に村中にて再興の記録があるので、創...

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飲泉所 ・ 温泉たまご場 & 湯殿大権現 (浅虫温泉)

浅虫温泉の飲泉所・温泉たまご場(源泉)。テレビ朝日「イチから住」で、浅虫に移住した泉浩・末永遥夫妻がここで温泉たまごを作り、おいしそうに温泉卵入りそうめんを食べていました。浅虫温泉由来…『浅虫温泉は平安時代の終りごろ、浄土宗の開祖円光大師が奥州巡教の折、傷ついたカモシカが湯あみするのを見て発見されたと伝えられております。其の地名は嘗つて住民が織布の麻を蒸していたため麻蒸とよばれていました。しかし火難...

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稲荷神社 (厩石 / 外ヶ浜町三厩中浜)

東津軽郡外ヶ浜町三厩中浜に鎮座している稲荷神社です。御祭神は保食神。現在の中浜地区は三厩本町と六条間の間の地区であり、吉田松蔭が小泊から山越えした松蔭道のある算用師を含みます。天文3年(1534)に浪岡城主北畠家が調査した津軽郡中名字によりますと、竜浜と共にこの三吉(算用師)が見えます。しかし、田畑の調査を主とした正保2年(1645)の津軽知行高之帳などよりますと名が見当たりません。貞享4年検地水帳...

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馬屋尻観音堂 (平内町茂浦)

かつての茂浦村の支村である馬屋尻で、本村の東北に位置します。馬屋尻も本村茂浦村と同じく、かつては製塩が盛んな地域でした。村には戸数が3戸以上に増えると災難が起こるという言い伝えがあったようです。菅江真澄が宿を求めた場所ですが、「一人旅に宿をみだりに許してはならないという、このところの定めであるから、かすことはできない」と断られていることにも関係がありそうですね。菅江真澄は「この浦の観世音を祀ったとい...

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細越神社 (青森市)

一之鳥居。細越大年縄保存会によるジャンバラ型注連縄をここで紹介しようとしたのに肝心のジャンバラがありませんでした(笑)拝殿にはジャンバラがありました。御祭神は大物主神、奇稲田姫命。細越村には昔から神社が二社あり、上細越にあるのを深山神社、下細越にあるのを三輪神社といいました。両社とも氏子があって崇敬していましたが、お宮を中心に一村が二分し平和を欠くことが多々あり、大正5年(1916)に合併して村の中...

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旧浅草橋 ・ 浅草見附跡 ・ 郡代屋敷跡 (東京都)

旧浅草橋…『浅草橋という町は昭和9年(1934)に茅町、上平右衛門町、下平右衛門町、福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町がひとつになってできた。町名は神田川に架けられた橋の名にちなんでいる。江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓・門・橋などを築き江戸城の警護をした。奥州街道が通るこの地は、浅草観音への道筋にあたることから築かれた門は浅草御門と呼ばれた。また警護の人を配置し...

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平滝村跡 (三十三観音 / つがる市木造館岡)

はじめ館岡村西方の平滝沼北東部に開村し、「津軽信政公事績」によりますと「元禄10年(1697)10月広須御新田之内平滝沼近傍へ屋敷地取設、引越之者共へ家壱軒に付銀六拾文目分の材木并飯米五俵宛被下置畑作取付せ、其他右へ寄り任に大網壱箇船壱艘被下置、長浜及平滝沼にて漁業渡世之足に到させ候」とあり、藩の援助のもとで半農半漁を目指していたことがわかります。しかしながら海風が強く耕作には適さない土地であったた...

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小柳稲荷神社 (青森市)

青森小柳郵便局のすぐ近くです。小柳村は開発当初小柳漁師新田、後に中浜旅館とも称したといいます。御祭神は倉稲魂命。創建不詳、もしくは寛永年間(1624-1645)に岡本七郎左衛門新田開発につき勧請。延宝7年(1679)五穀成就・村中繁栄のために再建。その後は小柳村中にて修復。貞享4年の検地帳には稲荷社地12間×9間が見えます。安政2年神社書上帖には横内組小柳村稲荷宮一宇、板葺屋根の建坪1尺4面の堂社、...

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常夜燈公園 (野辺地町)

鯵ヶ沢町から灯を頼りに泳いできたら、野辺地の常夜燈公園に着きました。尾去沢鉱山と野辺地湊/銅の道。『野辺地湊の繁栄をゆるぎないものとしたのが、銅の搬出でした。1765年(江戸時代・明和2)、南部藩は、尾去沢(秋田県)鉱山を藩の直営とし、銅を生産させました。銅は、尾去沢から花輪・大湯・・・田子・三戸・・・七戸・野辺地と136kmの陸路を牛の背により運ばれました。野辺地湊に集められた銅は、御用銅(ごよう...

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久斯神社 (平内町薬師野)

御祭神は少彦名神。久斯神社の創建は万治2年4月8日(社頭別当日光院延良法印)であり、薬師野村はこの時期には成立していたと考えられます(一説には享保11年頃に新村として成立)。昔は飲料水等に川水を利用していたことから伝染病が流行し、数多くの村人が病気に苦しめられたので、悪疫退散のために薬師堂(医薬の神)を建立し信仰しました。藩主代々再建し、明治8年2月28日村社。大正年間村中にて社殿新築。昭和29年の...

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雷電宮 ~ 其之壱 (平内町)

平内町福館雷電岸。社号標がよく見えず。せっかくかっこいい名前なのに(笑)社号標裏面(皇紀二千六百年式典記念・昭和15年11月10日建立)。石灯篭一対(昭和59年5月15日)。郷社雷電宮御由緒(御祭神・御祭神御事歴・御由緒・祭典日が書かれていますが…見えにくい)。御祭神は別雷命。夏季大祭8月14日・15日。秋季大祭旧9月15日。御由緒は神社庁HPとほぼ同じ内容でした。青森県神社庁HPによりますと…『第...

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雷電宮 ~ 其之弐 (平内町)

『雷電宮 ~...

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浅所海岸 (小湊のハクチョウおよびその渡来地) ・ 松島 ・ 小松島

『雷電宮 ~ 其之弐...

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稲荷神社 (舊雷電宮鎮座地 / 平内町盛田)

神社の長い石段も日陰がまったく無いときつく感じますね。でも木が無いってことは景色がいいはず。さて、盛田村は元は荒内村と称しており、飢饉などにより一時廃村状態となり、その後盛田村として再び立村。また荒内村は現在の盛田の西方にあり、水不足により現在地に移ったという説もあります。地内西方に鎮座する稲荷神社。御祭神は倉稲魂神。例祭日は旧9月10日。享保元年開創。明治初年に廃社となり、氏子は沼舘の神明宮に所属...

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旧野村家住宅離れ (行在所) 野辺地町

野辺地町役場の隣にあります。パンフレットより…『国登録有形文化財(建造物)。建築年代:明治23年(1890)頃。構造・形式:木造平屋建、鉄板葺。建築面積:102㎡。所有者:野辺地町。登録年月日:平成20年7月8日。野村治三郎家は江戸時代から廻船問屋を営み、弁財船5・6艘を所有する大規模な北前船主でした。明治9年(1876)に明治天皇の行幸のあることを知った六代野村治三郎は自宅に離れを新築し天皇の宿泊...

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神命大神宮 (東京都大田区西糀谷)

散歩していたらたまたま神命大神宮という大きな建物が目に入りました。工事中でした。一般的な神社の雰囲気はありません。昭和51年に創設された神命愛心会という神道系新宗教団体(創始者小松神擁。御祭神は天照大御神(主祭神)、建御雷男神、天津彦彦火瓊瓊杵尊、観應宇之神、天手力男命。)のようです。世の中には色々な団体がございます。それにしても凄い建物です。そしてまたしばらく歩いていると神明大神宮東参集殿いう建物...

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釈迦堂 (平川市新館)

新館八幡宮の近くです。墓所があり、その向かいに釈迦堂という建物がありました。釈迦堂前の地蔵堂。3体の地蔵様がおります。綺麗な服を着ておられますね。大きな庚申塔が2基ありましたが紀年銘等は読み取れませんでした。肝心の釈迦堂ですが拝観できませんでした。ブログ村ランキング参加中

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吉祥寺 (弘前市高屋)

高屋字福田の集落にある曹洞宗和光山吉祥寺。初め賀田村に開庵され、昭和23年に山号を得るまでは吉祥庵と称していました。文禄3年(1594)津軽氏の堀越進出に伴って廃庵となるも、天保3年(1832)に高屋村(坪貝村福田。国誌によりますと坪貝村は賀田村に続いていて一村のように見えると記されます。)に再建。本尊の阿弥陀如来像は室町期の作(恵心僧都の作)といわれ県重宝に指定。本尊は元新法師村の太田家で祀られて...

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第1田んぼアート2016 (田舎館村)

第1田んぼアートは田舎館村役場敷地内にある田舎館村展望台です。岩木山。真田丸。石田三成(山本耕史さん)。真田昌幸(草刈正雄さん)。お二人とも実際に見学に来られました。田んぼアートの横に目を向けると、田んぼアート商店街なるものができていました。知らなかった。ブログ村ランキング参加中

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第2田んぼアート2016 (田舎館村)

第2田んぼアートは道の駅いなかだて「弥生の里」敷地内にある弥生の里展望所です。シン・ゴジラ!まだ見てないけど。アップ。下で見るとこんな感じ。石アートの石原裕次郎さん。下で見るとこんな感じ。以前の高倉健さんも残されています。ブログ村ランキング参加中

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