かつての長走村。寛永8年白沢村本郷にあった関所が当地区に移されて、大館給人2人が常駐したことを契機に寛永12年白沢村枝郷から黒印村として独立。下内沢・赤湯沢・多茂木沢などの広大な山林は元和から寛永年間にかけて藩の御留山に指定。
村鎮守は神明社。これが当多茂木神社で例祭日は旧暦4月1日。神明社ならば御祭神は天照大御神ですが、多茂木神社の御祭神は犬神様。下記の伝承で犬神様がお伊勢詣りをしていることに関連性を感じます。
弘法大師にまつわる犬の伝承があり、犬神様とも呼ばれているそうです。
文献によっては少々伝承の内容が異なるのですが、大体次のような感じ。
昔、長走部落には守護神が無く、弘法大師が巡歴した際に守護神を授けてくれるようお願いしました。それから半年ほどして珍しい1匹の白い犬が村に来て、多茂木の洞穴(巨木タモの穴)に住むようになったそう。犬は昼夜を問わず村中を走り回り、盗賊や獣から村人を守ったそうです。そこで村人たちはこの犬を犬神様として敬いました。ある日犬神様が村からいなくなりましたが、一年ほどで伊勢詣をして子どもをはらんだ犬神様が村に戻ってきて、多茂木の洞穴で一匹の子を産みます。ある年の夏のこと、日照りが何日も続き、川は干上がり、田面が裂け、農作物や山の木が枯れ始めました。そこで村人たちが犬神様にお願いに行くと、洞穴の中から犬神様の声が聞こえてきました。「私たち親子を祀ってから、近くの滝壺の中に投げ入れてください。そうすれば雨が降り田畑を潤すでしょう」と言われたそうです。村人たちは今まで村を守ってくれた犬神様を生きたまま投げることなどできませんでしたが、その話を耳にした山師たちは木が枯れては困ると、犬神様を祀りもしないで、親子共々滝壺に投げてしまいました。するとたちまち大雨が降って大洪水になってしまいました。しかし、不思議なことに長走村の田畑には一切被害がなく大豊作となり、一方、山師たちの木材は一本残らず流されて、川底に沈んでしまいまいた。村人たちはせめて犬神様の亡骸でも探し出して手厚く葬ろうと考え、総がかりで滝壺を探していると、亡骸こそ見つかりませんでしたが、まるで犬の親子が抱き合っているような形をした立派な石を見つけました。これこそが犬神様の化身であると信じ、それを拾って洞穴に祀ることにしました。これが現在の多茂木神社となったそうです。以来、長走は日照り負けをしたことがないそうで、村人たちは現在も犬神様として篤く信仰しているそうです。なお、犬神様は子供が大好きで、子供に喜んでもらえるように、例祭日の4月1日には各戸から米5合ずつを持ち寄って紅白餅をついて餅まきを行うそうです。
狛犬一対。
拝殿向拝下。素晴らしい木彫り。
蟇股に犬神様。
額束の両脇に獅子。
脇障子…は犬じゃないんだ(笑)
社殿内。
本殿覆屋になっています。
本殿の蟇股部分は亀でしたが、両脇の木鼻には犬。
末社。
石と馬の絵馬が奉納されていました。
頌徳碑(昭和6年9月・農林大臣町田忠治閣下篆額)。老犬神社社殿内正面の神額も町田忠治。
頌徳碑の文章は読み取れますが、長かったので読んでいません。