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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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岩木山神社 (青森県東津軽郡今別町大泊鋳釜)

津軽地方では岩木山神社以外にも、各地方に岩木山神社という名の神社が存在しており、その地域を見渡すことができる小高い山をお岩木山と呼称してお山参詣を行います。以前紹介した脇元の靄山にも遥拝所がありお山参詣をしていましたね。今別町では浜名岳(旧暦8月1日直前の日曜)の他、大川平地区と大泊地区でお山参詣(旧暦8月1日)が行われているそうです…あれ?明日明後日だね(笑)上からは社殿正面に海が見渡せて、とても...

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鬼子母神社 (黒石市袋村元)

かつての袋村。貞享4年検地水帳によりますと藤五郎抱えの観音堂と村中抱えの水神宮があります。観音堂は産土神である袋観音であり、宝永5年(1708)に観音平に移り、神仏分離で白山姫神社となっています。当神社についての由緒は不明です。法華経の守護神である鬼子母神を祀るというのはわかります。末社。ブログ村ランキング参加中

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熊野宮 (五所川原市磯松)

市浦地区。古館遺跡と並んだ台地上にあります。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。※一の鳥居はかなり離れた海沿いにあり。「古館遺跡...

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鎮守稲荷大明神 (JR錦糸町駅北口モニュメント / 東京都墨田区江東橋)

錦糸町にやってまいりました。錦糸町北口の変なモニュメント…これは何をモチーフにしているかわかりますか?(※正解は文末にて)この近郊には稲荷神社が数多く点在しております。御祭神は宇迦之御魂神。由緒等は不明です。非常に狭い社地で狐さん等の風化・劣化も激しいです。しかしながら本殿には覆屋がかけられ、また、古い石玉垣に刻まれし多くの名前から、商売繁盛等を願い、この地域で古くから産土神として大切に信仰されてき...

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牛頭天皇社・猿田彦神社 (弘前市鬼沢猿沢)

鬼沢にある牛頭天皇社。小高い丘の上に鎮座します。境内には古いものから比較的新しいものまで様々な年代の庚申塔が並べられていました。中央の社殿には牛頭天皇(安政7庚申年・1860)が祀られています。薬師如来なのか…鬼神社境内の春日神社(昔この地に安住を求めて京の都から辿り着いた者が祀った社)との関連性も考えましたが、春日神社の由来には境内地が河川に埋没したため移転とあり、春日橋横には春日神社跡地があるの...

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加茂神社 (弘前市小友)

かつての小友村で、北は川村、南は鬼沢村、東は桂村、西は貝沢村に接し、弘前城下から鯵ヶ沢を経て大間越へ向かう西浜街道と、弘前城下から野木村を経て十三湊へ向かう十三街道の2つの街道を結ぶ道筋の中間に位置します。貞享4年検地水帳によりますと、縦34間・横20間の古館が記されています。これは小友館を指し、現在は小友小学校に板碑2基(内1基に正中4年三枝又五郎を刻みます)を残しています。御祭神は別雷神。貞享4...

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湊明神宮 & 浜の明神遺跡 (つがる市富萢町)

最初の大きい鳥居から2kmほど進んだところにあります。案内板より…「浜の明神は、中世に貿易港として興隆した十三湊の水戸口に航海の守護神として鎮座していた。文久3年(1863)には、湊明神宮境内から119体の仏像や土台石等が出土している。」延宝4年(1676)の創建。十三往来によりますと、「亦浜之大明神之奉拝社堂、並甍玉籬立、囲厳神殿之床十四丈、立遠鳥居、其間畳切石、不異瑠璃扉(中略)寔悲願頼母敷霊社...

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中野神社・中野不動館城跡 (中野もみじ山 / 黒石市南中野不動舘)

中野神社といえば紅葉の季節が最高なのですが、それ以外の時期は人が少なく、とても気持ちのいい場所です。紅葉は唐内坂の御屋敷の庭の手入れをしていた御庭師栗原養吉郎他が植えたという記録があります。夏でもライトアップしている時期があるんですよ。南中野の東側、中野紅葉山の下に鎮座。御祭神は日本武尊、岩戸姫命、田村麿命、大山祇命、倉稲魂命、小彦名命。津軽三不動の1つで旧郷社。延暦14年(795)に坂上田村麻呂が...

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青森県神社庁 (青森市浪館前田)

神社庁!って感じの建物ですね。ともさん、懐かしい?神社検定の会場にもなっております。一発合格できてよかった。神様ありがとう。ブログ村ランキング参加中

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稲荷神社 (弘前市蒔苗)

岩木山麓の東南端に位置しており、集落の南東を岩木川支流の後長根川が流れます。御祭神は宇迦之御魂命。本藩通鑑録に「蒔内村館主蒔内八右衛門」とあり、かつては蒔内とも書かれ、地内には中世の蒔内氏の居館である蒔苗館跡があります。創建不詳ですが、岩木山麓東南の蒔苗を拓いた蒔苗八右衛門(蒔内村館主)の(約700年前頃)の御所祷所の宮とある記録 (安政2年神社微細社司由緒調書上帳)...

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保食神社・保食宮 (五所川原市金木町嘉瀬)

嘉瀬村は江戸期には加瀬村とも賀瀬村とも書いたといいます。鎮守は諏訪社。嘉瀬駅の近くに鎮座する保食神社。馬頭観音的なものと思いますが、正確な由緒等は不明です。社号標には「報恩誓祈願 昭和17年6月17日」とありました。ごつい馬がおります。紀年銘明治33年「南無妙法蓮華経大黒尊天」を刻む石碑。こちらの碑は読み取れませんでした。地蔵堂。ブログ村ランキング参加中

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弘前駅 (弘前市表町、駅前町、駅前)

弘前の駅前。住所は駅前1~3丁目。元は和徳の一部になります。明治27年に奥羽北線の弘前駅が開設されて以後、代官町や北瓦ヶ町などから駅までの道が作られて発展しました。2~3丁目の境界となっている通称駅前通り(主要地方道弘前停車場線)に沿って各種商店や旅館等が並び、明治38年には第八師団の将兵を歓迎する凱旋門等もつくられたことがあるそうです。あっ、駅前でババヘラ!弘前駅は明治27年(1894)12月1日...

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稲荷神社 (弘前市大和沢)

細い路地を入り、少しだけ坂を登ったところにあります。時系列で細かく由緒が書かれていました。創立年月日不詳。 貞享4年検地水帳によれば村中抱えの稲荷社があり、これが字沢田にありますこの稲荷神社を指します。祭神は倉稲魂命。明治6年4月、小栗山村旧郷社小栗山神社に合祀されますが、明治8年2月復社。更に一野渡村八幡宮へ合祀されますが。  明治10年6月に再び現地に復社。同12年6月に村社に列せられます。...

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八幡宮 (板柳町大俵)

比較的新しい一の鳥居。一の鳥居からすぐに右へ直角に曲がると参道正面。貞享4年検地水帳に彦十郎抱えの八幡社地がみえます。板柳町誌によりますと、承応3年、成田与兵衛の創立と伝えられます。明治6年に高増村の鹿島神社へ合祀。明治12年に復社。拝殿内。拝殿内にリアルなお馬さん。拝殿外壁には十二支の絵などがありました。こちらは本殿。ブログ村ランキング参加中

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王余魚沢稲荷神社 (大豆坂街道沿い・青森市浪岡大字王余魚沢)

社号標は石にはめ込まれています。王余魚沢の名前の由来までは知りませんが…っていうか調べてませんが、天文年間(1532-1555)の記録に饗沢(かるいさわ)・餉沢とあるといいます。そんな王余魚沢集落の入口に鎮座するのが王余魚沢稲荷神社。入口の松はかつての大豆坂街道沿いの松並木の名残りを感じさせます。また王余沢稲荷神社一帯は浪岡城主北畠氏家臣軽井源左衛門の居館であったと伝えます。狛犬。拝殿。創建不明。長...

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胸肩神社 (中泊町大沢内)

御祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。 創建年代不詳。元文元年(1736)検地水帳に「弁才天社地」がみえることからそれ以前の創建と伝えます。大沢内溜池の南東に位置し、標高10~15m程の大地や周囲の低地は二夕見遺跡で平安時代と考えられる遺跡が数多く発見されています。昔は湖水の舟着場であったとか。...

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中里神明宮 (中泊町中里)

祭神は天照皇大神。創建年代は不祥、薄市山弘法寺2世性雲院日性抱えで寛文3年(1663)再建。その後崩壊するも弘化4年(1847)現在地に移転し再建。明治6年に一時的に深郷田村八幡宮へ合祀。中里町誌によれば、元々現在地の北側、甲子塚のある高台(弘法寺東方山頂)にあったと伝えられますが、弘化4年(1847)加藤庸制(代々郷士・金木組大庄屋を務めた加藤家8代加藤九八郎)ほかが、現在の場所に復興したとされま...

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妻恋神社・妻恋坂 (東京都文京区湯島)

清水坂の途中から妻恋坂上へ曲がるとすぐに妻恋神社があります。妻恋坂は別名大超坂、大潮坂、大長坂、大帳坂とも言われ、妻恋坂と一般に言われるようになったのは、霊山寺が明暦の大火後に浅草に移り、妻恋稲荷が旧湯島天神町一丁目付近から移ってきたことによるそうです。美しき坂名。妻恋神社は妻恋坂の坂上北側に位置。日本武尊・橘媛命・倉稲魂命などを祀り、旧村社。江戸時代には妻恋稲荷社、あるいは妻恋明神社と称されました...

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新屋城跡 & 新屋四十八坂 (平川市)

新屋の集落は国誌によると「村居は山に近く降窪不平の地に住す。村中四十八坂ありと云ふ。小館、町屋敷、西館等の小字ありて故墟にてもありしにや村に隍形と見ゆる処もあり」とあります。集落に沿う川は深い崖状の川岸をなし、侵食谷を形づくり、古い流路が崖や溝等の地形を残して坂道が多く、俗称四十八坂と呼ばれています。標柱より…「築城年代は不詳。天正2年(1574、天正3~4年とも)、大光寺城代滝本重行の強襲をうけ落...

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保食神社 (藤崎町)

藤崎字一本柳(通称下町)にある保食神社には農業の神様である保食神が祀られています。この神社には、源義経の乗馬がこの地で死んだのを祀ったという伝説(源義経北行伝説)、唐糸御前を探しに来た北条時頼の家来の馬が倒れた場所だという伝説などが伝えられています。また、菅江真澄の「つがろのをち」には、この神社だと思われる「うまの神」という絵が紹介されています。菅江真澄の「うまの神」のスケッチ。この神社が保食神社と...

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