東關森稲荷神社 (東京都品川区)
御祭神は宇迦之御魂神、伊邪那岐命、伊邪那美命。由緒詳細は不明ですが、地元より篤い信仰を集めており、2003の秋に獅子のお練りを復活させたそうです。元々は熊野神社があり、後に稲荷宮を合祀し、現在の御祭神は上記のようになっています。古くは稲荷森稲荷と称しており、稲荷森(とうかもり)が東關森(とうかんもり)に転訛。音読みでとうかもりって読むんですね…そういえば十日森稲荷っていうのもありますものね。鳥居と社...
View Article真言宗智山派 岩木山 求聞寺 (弘前市百沢)
岩木山の東南麓、岩木山神社の東。岩木山神社からガソリンスタンドを挟んだ場所。岩木山神社の一の鳥居の脇道からも行けます。すぐ近くなので岩木山神社に行った際は是非こちらにも参拝してみてください。本尊は虚空蔵菩薩。弘前藩2代藩主津軽信枚の所願で岩木山三所大権現(現岩木山神社)に付随して建立された虚空蔵堂に始まります。寛永2年(1625)に藩主跡目争いで荒廃した領内の安寧を憂い修業を行い(百沢寺そばの森の中...
View Article保食神社 (つがる市森田町大館)
かつての大館村。大館集会所隣。寛文12年(1672)に狄ヶ館溜池の池堤工事が行われており、この頃に当地の開田が進められたと思われますが、開村時期は不詳。御祭神は保食神。創建年月日は不詳。元文元年検地帳に平間治太夫抱えの下々畑20歩の観音堂地、「観音堂地五間四間弐拾歩 堂建無之...
View Article鶴屋稲荷神社 (五所川原市)
境内案内板(平成26年7月建立)の説明が非常に丁寧だったので自分では何も調べていません。以下案内板より。御祭神:『稲荷大神。伏見稲荷大社の御祭神、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神の総称。五穀豊穣・商売繁昌・産業興産・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神です。』由緒:『鶴屋家代々の徳行に加え、6代目原庄右衛門基札は、凶作への備えと農民救済事業として私財を擲って7町歩の沼地を開...
View Article真言宗国分寺派 成田山 大善院 (五所川原市新町)
津軽弘法大師霊場第13番札所。津軽八十八ヶ所霊場第87番札所。カレーハウスむら田のすぐ近く。誘惑に負けます。かつては南津軽郡浅瀬石高賀野にあって高賀山大善院正伝寺と号していました。浅瀬石城主千徳大和守は慶長2年(1597)に津軽為信に攻められ落城し、大善院は浅瀬石城落城のあと、為信により堀越に移されて、津軽藩代々の祈願寺として信仰を集めてきました。歴代住職は中興開山照円、照猛、照範。高賀山大善院時代...
View Article愛宕神社 (五所川原市下岩崎)
日が沈んでからの訪問となり、少々ブレ気味です。御祭神は軻遇突智命。創立年月日不詳。寛永年間に藤右エ門という者が、金神林の大木の根元で奇異の三石を発見。霊夢に依って三宝荒神と崇め奉りました。貞享4年検地水帳には荒神社地とあります。明治4年愛宕神社に改称。明治6年4月毘沙門鹿島神社へ合祀。明治8年2月復社。明治9年12月村社。明治42年8月27日指定神社に列格。末社。馬頭観音かな。ブログ村ランキング参加中
View Article奥富士出雲神社・稲荷神社・白雲神社 (岩木山神社 / 弘前市百沢)
岩木山神社です。何度訪れても素敵な場所です。今回は未だ紹介していなかった摂社・別社等を紹介します。記事:『岩木山神社』記事:『岩木山神社社務所...
View Article稲荷神社 (鶴田町木筒)
岩木川沿いにあります。岩木川を背に境内へ降りていく感じ。かつての木筒村。古くは桑野木田村と称しており、貞享4年に改めたと伝えます。また、その時まで木筒村と称していた村は野木村と改称。御祭神は倉稲魂神。稲荷神社は慶長19年4月創建。明治6年4月に廻堰八幡宮に合祀、翌7年12月に復社。末社と庚申塔。ブログ村ランキング参加中
View Article五戸町消防団第一分団屯所・明治天皇行在所(三伝)・野月のケヤキ (三戸郡五戸町字野月)
「明治12年(1879年)私設消防組を組織して屯所を設けたが、大正2年(1913年)の大火によって焼失、その後、町民有志に新築運動を呼びかけ、大正11年(1922年)10月1日落成したもので、木造5層建、間口3間半、奥行3間、建坪10.5坪、工費2,774円、町内第一の規模を有し、鐘楼のついた火の見櫓である。」2,774円…大正時代ですから当時は相当な額なんでしょうね。500~700万くらい?外壁は...
View Article東關森稲荷神社 (東京都品川区)
御祭神は宇迦之御魂神、伊邪那岐命、伊邪那美命。由緒詳細は不明ですが、地元より篤い信仰を集めており、2003の秋に獅子のお練りを復活させたそうです。元々は熊野神社があり、後に稲荷宮を合祀し、現在の御祭神は上記のようになっています。古くは稲荷森稲荷と称しており、稲荷森(とうかもり)が東關森(とうかんもり)に転訛。音読みでとうかもりって読むんですね…そういえば十日森稲荷っていうのもありますものね。鳥居と社...
View Article真言宗智山派 岩木山 求聞寺 (弘前市百沢)
岩木山の東南麓、岩木山神社の東。岩木山神社からガソリンスタンドを挟んだ場所。岩木山神社の一の鳥居の脇道からも行けます。すぐ近くなので岩木山神社に行った際は是非こちらにも参拝してみてください。本尊は虚空蔵菩薩。弘前藩2代藩主津軽信枚の所願で岩木山三所大権現(現岩木山神社)に付随して建立された虚空蔵堂に始まります。寛永2年(1625)に藩主跡目争いで荒廃した領内の安寧を憂い修業を行い(百沢寺そばの森の中...
View Article保食神社 (つがる市森田町大館)
かつての大館村。大館集会所隣。寛文12年(1672)に狄ヶ館溜池の池堤工事が行われており、この頃に当地の開田が進められたと思われますが、開村時期は不詳。御祭神は保食神。創建年月日は不詳。元文元年検地帳に平間治太夫抱えの下々畑20歩の観音堂地、「観音堂地五間四間弐拾歩 堂建無之...
View Article志和古稲荷神社 (岩手県紫波郡紫波町)
ここを左折すれば志和稲荷神社です。一文字違いなので間違う方も多いようです。御祭神は宇迦御魂命。滑舌が悪いのでどうしても「シャッフル稲荷神社」と言ってしまいます(笑)神社の御創祀は年代不詳。この地方一帯を領知していた斯波氏の厚い崇敬を受けられた以前のことは不明ですが、御創建の往古にあった事は一見社名に知られ、ことに古く本宮と称し、修験道をもって世襲した祀職が本宮寺と称し、維新に及んだことに依っても明ら...
View Article稲荷神社 (弘前市宮舘)
御祭神は宇迦之御魂神、大宮能売命、猿田彦命。草創年月日不詳。宮舘児童会館及び当稲荷神社は宮館(館主安東式部秀輔)跡地と伝わります。東日流通観録に『承平四年、芝山玄蕃祐高、西畠式部少輔、宮舘城を築き城主、管領職相勤めたる際、城内に一社を勧請して稲荷明神と称し、領地安全の祈願社とす。また、高杉城主源有氏累代崇敬せり。後に村民にて改築し崇敬し来れり』とあります。(承平4年、宮舘城築城の際に城内に稲荷明神を...
View Article熊野宮 (大鰐町虹貝中熊沢)
かつての虹貝村で北流する虹貝川の下流に位置し、北に宿川原村、南に細越新田、その南に蛇石新田の二つの支村があります。山役人が直接森林を管理する番所があったほか、鉱山の開発も盛んな地域で、寛文2年(1662)5月に虹貝金山の経営に着手しています。中熊沢にある旧村社熊野宮の御祭神は伊弉諾命、伊弉冊命、白山姫命。創建は不詳ですが、享和3年(1803)の寺社領分限帳によりますと慶安5年(1652)再建。貞享4...
View Article勢至観世音・中崎の三夜塔 (弘前市中崎)
中崎町会の横にある勢至観世音。川を挟んで同中崎の月夜見神社の対岸に位置します。貞享4年検地水帳によりますと、万太夫抱の観音堂と大師堂がありますが、この観音堂なのかは不明。大きな庚申塔。大きな二十三夜塔の石碑には勢至菩薩の種子であるサクが刻まれます。紀年銘は天保15年(1844)3月23日。『帰命月天子 本地大勢至 為度衆生故...
View Article湯魂石薬師堂 (大鰐町)& 阿闍羅
慶長年間(1596-1615)、津軽為信公が眼病に罹り、「大鰐の湯で目を洗えば治る」という薬師如来のお告げを夢に見て、大きな石の下から湧き出る熱湯を発見したのが大鰐温泉の始まり。※新しい案内板の説明と石碑に彫ってある説明は同じものでした。この大石の上に祠を建立したもので、鰐の口から温泉が湧き出ています。熱いので注意!横には足湯もありますよ。ちなみに大鰐町の由来ですが、かつて大きな阿弥陀如来像があった...
View Article八幡宮 (弘前市青女子)
東に岩木川、北は種市村、南は大川村、西は糠坪村に接する青女子村。八幡宮は青女子町民会館、弘前市消防団新和地区団第一分団消防屯所の隣にあります。貞享4年検地水帳によりますと青女子には大蔵大夫抱の八幡社及び甚之丞抱の薬師堂、山王堂があります。この大蔵大夫抱の八幡社が当八幡宮。御祭神は誉田別尊。寛永8年笹森仁左衛門の建立と伝えます。明治初年には地内の日枝神社に合祀し後に復社。明治6年村社。手水舎。広い境内...
View Article天台宗 妙法山 千手院 (盛岡市鉈屋町)
盛岡三十三観音第五番。山号は妙法山。本尊千手観音。通称寺の下のおかんのんさん。山門には大きな提灯があります。屋根には南部家の家紋と黄金の鯱鉾。開山は円秀和尚で延宝年間頃と考えれています。阿弥陀如来石像延宝5年円秀建立銘。盛岡砂子・秘仏観音菩薩縁起によりますと、元禄年間盛岡藩4代藩主南部行信により堂宇建立。天明元年(1781)9代藩主南部利正から寺領12石を与えられています。旧本寺愛宕山法輪院広福寺(...
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