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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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小村井 香取神社 (香梅園 / 東京都墨田区文花)

皇国鎮護!大日本武将祖神!御祭神は経津主大神(伊波比主大神)。創建は平安末期。『経津主大神は天孫降臨に先だち、天照大神の勅を奉じ武甕槌神(鹿島の神)と共に出雲に降り、大国主命と御交渉の結果、国土を皇孫に捧げ奉らしめ、次いで国内を平定して日本の建国の基礎を築かれた武勇に優れた神様で国運開発・民業指導・海上守護・縁結び・安産の神様更には、武徳の祖神として廣く仰がれております。当神社は、永萬元年(1165...

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久須志神社 (鯵ケ沢町中村町)

御祭神は大己貴神、少彦名神、金山比古神、金山姫神、大国主神。応永年中(1394-1427)初代宮司工藤神宮太夫が、岩代(現在の福島県)から鯵ケ沢の中村に来ました。神宮太夫は神主として薬師堂を勧請奉仕。応永32年(1425)に没し、2代目工藤祐太夫となります。第2代工藤祐太夫が寛正5年(1464)久須志宮と改め勧請奉仕。子々相嗣で千影まで13代。11代伊豫正之は和楽・舞に優れ、津軽地方の神主の師範とな...

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神明宮 (鯵ケ沢町米町)

海の駅わんどのすぐ近くです。江戸初期には本町の一部で、本町裏町と称されていました。寛文11年(1671)に米穀を取り扱う米町として分立。御祭神は天照大神、猿田彦命。安政2年神社書上帳によりますと創建は寛永2年(1625)ですが、明暦元年(1655)8月、津軽藩士(代官)築舘松左衛門・熊沢覚太郎が鯵ケ沢町奉行勤中に勧請(又は再建)し、その後の万治2年(1659)当町の加藤仁兵衛・平田六右衛門・山本四郎...

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驫木駅 ・ 菅江真澄の道 (深浦町驫木)

青春18きっぷの宣伝ポスター(2002年春期)に登場して、その薄暮を写した景観の美しさから全国的に有名になった無人駅です。また、「男はつらいよ」等のロケ地としても有名です。開業は昭和9(1934)年で、現在の駅舎は昭和26(1951)年に竣工。ちなみに「驫」という字は日本の駅名に使用されている漢字の中で最も画数が多いそうですよ。1日の乗降客数は8人未満らしいのですが、実際には人気の秘境駅として多くの...

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八幡宮 (平川市小国)

天保郷帳によりますと、八幡宮地5間×4間、惣染堂地5間×3間が見え、貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの観音堂地4歩、八幡宮地20歩がみえます。昔は江戸への献上品として煮た蕨の塩漬の樽詰が送られています。旧村社の八幡宮は川辺にあって村の氏神であり、丹波館主小国丹波が勧請したと伝えており、正長7年(1434年・永享6年)銘の鰐口が残っています。丹波没落後は荒廃し、元文元年(1736)に村中にて再建し...

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神明神社 (深浦町横磯下岡崎 / 小福浦)

景色を見ようと、横磯の海岸沿いへ行きました。うん?神社がありますね。下までは降りれるのですが、あそこにはどうやって登るのかな。この位置からはよくわからなかったので行きませんでした。高所恐怖症ですし。立地的に弁天宮かと思ったのですが、地図を見たら神明神社と書いていました。詣でていないので何とも言えませんけど。ブログ村ランキング参加中

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武甕槌神社 (つがる市木造越水)

かつての越水村で、安政2年神社書上帳によりますと、神社として延宝4年(1676)創立の毘沙門堂と、享保6年(1721)創立の惣染堂があります。当社は上記の毘沙門堂で、村中安全・五穀豊穣を願って建立。元文時代(1736-1740)には、観音堂及び毘沙門堂は「宮建有之工藤備後抱」とあることから、両堂とも工藤備後が祭司していたと考えられます。...

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稲荷神社 (黒石市西馬場尻)

入口付近の日露戦没記念碑。かなり大きな庚申塔。黒石城下北方、東は飛内村・小屋敷村、南は田中村です。明暦2年(1656)、津軽信英分知の際に村は弘前藩領と黒石領に分けられ、弘前藩領の西馬場尻は本馬場尻・上馬場尻と呼ばれ、黒石領の東馬場尻は黒石馬場尻・下馬場尻と呼ばれました。西馬場尻の稲荷神社の御祭神は宇賀御魂命。南津軽郡是によりますと寛文5年(1665)8月の勧請と伝えます。宝永5年(1708)2月、...

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正八幡宮 (鯵ケ沢町舞戸町)

鰺ヶ沢駅前に鎮座。かつての舞戸村で、西浜街道が東西に横断していて交通量が多く、古くは七里長浜沿いに十三に至る十三道の拠点でもありました。貞享4年検地水帳によりますと、同地区に稲荷堂地と八幡堂地が見えます。御祭神は譽田別尊、倉稲魂命。稲荷神社を合祀しているようです。青森県神社庁によりますと、左衛門尉、紀直庸、応仁の乱のため、主君である四位大宰大弐に従って京を逃れて鯵ケ沢に至ります。文明9年(1478)...

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熊野神社 (十三森熊野宮 / 青森市羽白沢田)

一の鳥居の後ろにある門柱が不思議。昇降龍の石柱とコンクリの塀があり、その上には小さ過ぎる狛犬がおります。かつての羽白村で、貞享4年検地水帳によりますと、熊野堂地・境内林がみえます。創建年代は不詳ですが、油川湊目付の森山弥七郎が勧請、もしくは寛文11年(1671)、二代目森山弥七郎再興と伝えます。大正8年に社号を熊野宮から熊野神社に改称。御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊。末社です。弁天宮かな。狛犬一対。最初...

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八幡宮 (南津軽郡藤崎町徳下)

徳下村は南に東光寺村、西に常盤村、北に徳田村、増館村に接します。貞享4年検地水帳によりますと、八幡宮と観音堂が記されています。旧村社八幡宮の御祭神は誉田別命・天照皇大神。創建は承応2年(1653)。その後大破し、延宝4年(1676)・貞享2年(1685)4月再建。明治6年、常盤村八幡宮へ合祀され、同8年に復社。本殿。徳下一位の木(オンコ)。『昭和のはじめ頃の調査では樹齢500年以上と推定され、八幡宮...

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ふかうら文学館 ・ 旧秋田屋旅館 (深浦町)

多くの著名人が訪れており、太宰治が2度宿泊していることで有名な旧秋田屋会館(昭和5年木造建築)です。現在は「太宰の宿...

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木元神社 (つがる市木造越水)

屏風山砂丘の東南部末端に位置する莇岡村の木元神社。拝殿内に狛犬らしき物が見えました。社殿横に社号標。安政2年神社書上帳によりますと、莇岡村の神社として延宝4年(1676)創立の毘沙門堂と、享保6年(1721)創立の惣染堂があります。元文時代(1736-1740)には、観音堂及び毘沙門堂が見え、「宮建有之工藤備後抱」とあることから、両堂とも工藤備後が祭司していたと考えられます。...

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天台宗別格本山 医王山 毛越寺 (岩手県西磐井郡平泉町)

広大な境内には、かつて金堂円隆寺をはじめ嘉祥寺・講堂・常行堂・経楼・南大門などの堂舎が並び、その前庭に大泉が池を中心とする浄土庭園が配されていました。寺伝によりますと、嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われて一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちていました。大師は不思議に思いその毛を辿ると、前方に白鹿がうずくまっていました。大...

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胸肩神社 (鯵ケ沢町浜町)

浜町の北は日本海に向けて弁天崎が突き出ています。鳥居横にある浜町の標柱…『古くは海士町(漁師町)の一部。後に網干場に沿って屋並がつくられ、貞享4年(1687)の検地帳から浜町の名が見られ、戸数50とある。藩政時代に年貢米を収納した御蔵や、弁天崎(胸肩神社付近)に御番所などがおかれた』。この北部弁天崎に鎮座するのが胸肩神社。御祭神は多紀理比売命、市杵島比売命、多岐津比売命。例祭日6月14日・祈年祭4月...

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松蔭神社 ・ 松下村塾 (東京都世田谷区若林)

御祭神は吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰先生)。境内案内板が丁寧だったので、それに忠実に紹介していきます。松蔭神社…『松陰先生は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成遂げた多くの若者を教育しました。しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その4年後の文久3年(1863)に、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩藩主...

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大平八幡宮 (大平山元Ⅱ遺跡 / 東津軽郡外ヶ浜町蟹田大平)

津軽海峡線大平駅付近。やまなみライン沿い(12号)と14号の丁字路にある八幡宮です。御祭神は誉田別尊。創建及び由緒は不明。地元の崇敬篤く、境内も綺麗にされております。廣田神社(青森市)さんのツイートを読みましたら、「珍しく男性の方より女性が多く参列され熱心に祈っておられたのがとても印象的」と述べられておりました。境内の清掃も婦人部の方々によって行われているようです。東津軽郡では意外に多いお山参詣。こ...

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日本一の北金ヶ沢のイチョウ(垂乳根の公孫樹) ・ 樹祖神 (深浦町)

樹齢1000年以上と伝えます。幹周22m、樹高31.5mで、幹周りは国内最大。周囲の家と比較すれば大きさがわかると思います。膨張色の黄色に色付けばより大きく見えるんですけどね。11月になるとライトアップなどもされて、カメラマンが集まる人気スポット。そんな季節に行かないのが私のいいところかも知れません(え?)さて、大銀杏樹は元享年代(1321-1323)頃から応永年代(1394-1427)に栄えた安倍...

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八幡宮 ・ 薬師堂 (青森市浪岡本郷)

最初の鳥居から右に直角に曲がったところに社殿があります。参道両脇には狛犬や石燈籠などたくさん並べられています。参道の狛犬・石燈籠・鳩・御神馬。ほぼ等間隔で綺麗に並べられていますね。御祭神は譽田別命。創建不詳ですが、天和4年(1684)の村絵図にはすわ八幡宮がみえ、それ以前の創建と考えられます。貞享4年検地水帳によりますと、12歩の宮があり、境内林1町8畝、長さ50間・横40間、6尺回り・3尺回り雑木...

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元城 ・ 元城龍神宮 (深浦町深浦元城)

旧岩崎街道に沿う高台上にあります。案内看板より…『東・西・北の三方が急崖に囲まれた丘陵上に築かれた中世の山城。城の主な構造は二つの主郭、南側の幅約50mにも及ぶ大規模な五重の空堀、腰郭などからなる。嘉吉3年(1443)南部氏に敗れた安藤氏は十三湊を廃棄した後に領地回復のため度々津軽に上陸し、南部氏と抗戦した。享徳2年(1453)安藤義季が狼倉で敗死し、安藤嫡流が断絶した後も残党が深浦に城を築いて抵抗...

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