八幡宮 (鶴田町尾原)
御祭神は譽田別尊、玉依姫命。尾原村はかつての廻堰村の枝村で享保11年に分村。創建年月日不詳。安政2年神社書上帳によりますと、尾原八幡宮は貞享2年(1685)の再建。但し、青森県神社庁によりますと、貞享4年(1687)3月勧請で、安政年間(1854-1860)に廻堰村の石村伊兵衛が再建。明治6年4月廻堰村八幡宮へ合祀、同8年2月復社、同9年12月村社。庚申塔など。昭和紀年銘の馬頭観音。ブログ村ランキン...
View Article曹洞宗 貴峯山 月峰院跡地 (平川市沖館宮崎)
長勝寺並寺院開山世代調によりますと、かつては沖館村にあったとされ、開基を天正8年(1580)としています。その後堀越村を経て弘前城下へ移ったとされます。場所は沖館観音堂(沖館神明宮)の裏山の頂上。沖館観音堂入口に案内標柱があります。途中からは急勾配で狭い農道になります。徒歩じゃないと無理です。『曹洞宗 貴峰山 月峰院 & 瘡守稲荷宮...
View Article猫渕稲荷神社 (つがる市森田町)
杉ノ沢溜池の近く。境内は森といった感じです。入口付近にあった石。よーく見ると馬らしきものが彫られています。境内にあった創建参百四拾年記念碑(平成7年8月6日建立)。庚申塔。拝殿。由緒等は不明ですが、地元の方々に大切にされているのがわかります。本殿。こちらには明治紀年銘の天照皇大神等の石碑がありました。他には稲荷宮や…空っぽの祠…っていうか底が抜けています。床下には石がありました。ブログ村ランキング参加中
View Article志和八幡宮 (岩手県紫波町上平沢)
上平沢の西部、滝名川中流の左岸で馬場の町北側に位置。※紫波ICから志和稲荷へと向かう途中、たまたま見つけて裏側から来たので、一の鳥居には気付かず二の鳥居からです。御祭神は誉田別命・武甕槌命で旧郷社。紫波郡誌によりますと、貞観4年(862)山城石清水八幡宮を勧請したとされ、天喜5年(1057)源頼義が安倍氏との合戦で紫波郡に軍勢を進めた時、当社に奉幣立願し、安倍氏を討った後、軍勢は社前に会集拝謝し凱歌...
View Article近野神明宮 (つがる市木造菊川)
かつての近野村。水田耕作を主とした村です。宝暦7年(1757)再建、明治5年に吉見稲荷神社に一時合祀、後復社。青森県神社庁によりますと、創建は元禄3年(1690)。明治9年(1876)村社。御祭神は天照大神。以下社殿内由緒(平成8年現在)より一部抜粋…ちょっと読みにくいですけど。『延宝8年(記録なし)=堂社帳又は山伏。成田七郎右衛門・岡文左衛門元禄15年(記録なし)=大行院...
View Article柳久保神社 (心太屋善兵衛の御神燈 / 青森市浪岡大字大釈迦)
大釈迦交差点の丁字路の所にあります。かつてはここに曹洞宗梵珠山元光寺がありました(現在は浪岡大字徳才子字山本)。道沿いには六地蔵がおります。入口に二十三夜塚や庚申塔がありました。こちらは元光寺跡に残されている地蔵堂。中には大小たくさんの地蔵が丁寧に祀られていました。写真暗くてすいません。参道途中にある梵珠会館。夕方の4時過ぎだったのですが、鎮守の杜にて、上に行くほど暗くなりました。境内にはライトがあ...
View Article日本一のけやきの森 七柱神社・浄土寺・善應寺 (平川市尾上栄松)
平成25年(2013)に行われた新鳥居の竣工式の際に、取り壊した古い鳥居から台輪に「明應4年(1495)」と記されているのが発見されました。その後の調査結果は未だにわかりませんが、神社の由緒に係る重要な発見です。御祭神は大國主神、経津主神、事代主神、天鈿女神、宇賀魂神、思兼神、高おかみ神。貞享4年検地水帳によりますと、尾上村の小字栄松には正太夫抱えの権現堂、観音堂地、庚申堂地があります。明治の神仏分...
View Article氣比神社 ・ 気比神社 (青森県上北郡おいらせ町)
下田町(江戸期・下田村)に位置します。御祭神は足仲彦尊(第14代仲哀天皇)。文明9年(1477)に木ノ下の農民松林喜蔵が福井県敦賀市にある氣比神社より足仲彦尊(第14代仲哀天皇)を祭神として賜り、無病息災、五穀豊穣、家畜安全を願い勧請したと言われます。7月の第1土・日曜の例大祭には絵馬の店が並び、家畜安全、無病息災等を願う板絵馬や紙絵馬が売られます。国誌によると、江戸期に木崎野馬護神・木下蒼前堂・馬...
View Article三日月神社 (弘前市吉川村元)
かつての吉川村は国吉村の枝村で享保11年(1726)に分村。個性的な狛犬一対。御祭神は月読尊。天照大御神の弟神で、建速須佐之男命の兄神。一般に開運、厄除け、安産、海上安全、眼病平癒、五穀豊穣などに御利益があるといいます。創建不詳。国誌によりますと、桜庭村の多賀神社に相殿として三日月神が一時遷座しています。兎一対。社殿内。中央本殿前にも白兎が2匹いました。白兎は月読尊の御神体とも云われます。古事記の因...
View Article大日如来 (五所川原市飯詰)
飯詰にあります大日如来堂。入口は鳥居ではなく冠木門。境内はまさに神社といった感じです。こちらの小さな祠には不思議な石が。手前の人形?と後ろの石の模様がどことなく同じに見えません?宝暦12年勧請。御祭神は大日如来、金剛海。その他の由緒等はわかりませんが、同じ五所川原市の広田神明宮のすぐ近くにも似たような大日如来堂があります。広田の神明宮は明治3年の神仏混淆の際に御祭神を天照皇大神に改め、社名を神明宮と...
View Article曹洞宗 薬王山 松傳寺跡 (松伝寺・正傳寺 / 南津軽郡大鰐町森山堂ケ平)
森山堂ケ平の鹿嶋神社境内に松傳寺跡があります。松傳寺の由緒については以下の記事をどうぞ。参照:『曹洞宗 薬王山 正伝寺(正傳寺)・渡辺金三郎断首図...
View Article鹿嶋神社 & 森山の板碑 (南津軽郡大鰐町森山堂ケ平)
貞享4年検地水帳によりますと石川村(乳井・八幡館・鯖石・小金崎・薬師堂・石川・大沢・森山の合併にて成立)に行人の立海坊がいて、正福院抱えの観音堂と毘沙門堂があったといいます。また、近くの堂ヶ平山北側中腹には毘沙門天・不動明王・観音菩薩を祀る堂社があり、弁才天が併祀されていますが、古伝によりますと藩政時代に市応寺という修験の寺であったと言われます。金光山市応寺は一大修験場として栄えました。なお、鎌倉時...
View Article石神神社 ・ 入内の石神様 (青森市入内字駒田)
中々大変な場所に鎮座しているのですが、有名な神社なので訪れる人も多いようです。舗装されていない山道を車でひたすら上っていきます。冬は無理そう。道中には様々なものがありそうですが、車だったのでほとんど見逃しているかも知れません。立ち寄った所だけ紹介します。まずは二十六夜大神です。急な参道を少しだけ登ったところに石があります。石には穴があいており、中には水が溜まっていました。次に紹介する鳥居はわかりやす...
View Article稲荷神社 (黒石市小屋敷字宮岸)
御祭神は倉稲魂命。寛文2年(1662)12月9日、黒石藩の祖先津軽十郎左衛門信英公は、次男十郎兵衛信純に所領千石を以て分地させ、下目内沢、小屋敷、飛内、馬場尻四ケ村の領主となります。その後、元禄2年(1689)9月6日、二代信俗が嫡子なくして死去したので、御家名廃絶となり幕府の天領となりました。後に黒石領に復します。黒石風土記によりますと小屋敷村の東南端の墓地におびただしい数の首無地蔵があるとか((...
View Article稲荷神社 (南津軽郡藤崎町福舘前田)
かつての福館村で、集落ははじめ元目(求馬・求目)派の東側にあり、天明年間の大凶作の際に南方へ移転しています。神社は前田の旧村社稲荷宮があり、延宝5年(1677)に一戸弥右衛門が産土堂として勧請。天和4年(1684)の書上帳には稲荷堂とあります。青森県神社HPによりますと延宝3年(1675)9月10日の勧請となっていました。御祭神は宇賀魂命。当社より西方約30丁に北畠一族が守り住んだ古館があり、その守...
View Article中尊寺境内飛地 武蔵坊弁慶大墓碑 (岩手県西磐井郡平泉町)
世界遺産に登録された平泉にあります。中尊寺参道口にあるのですが、意外に目立たないかも知れません。あの有名な弁慶の墓だというのに皆さん素通りでございます(笑)五輪塔は倒れてしまったのかな。『文治5年(1189)義経の居城高館焼打されるや、弁慶は最後まで主君を守り遂に衣川にて往生す。遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ石碑が建てられた。「色かえぬ 仏のあるじや...
View Article天台宗東北大本山 関山 中尊寺 (岩手県西磐井郡平泉町)
中尊寺の紹介です。有名過ぎるのでざっと紹介。全部は紹介できません。詳細はHP等で読んでください。表参道の月見坂。両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢約300年の老杉があります。この坂が結構きつい。中尊寺にはかれこれ5回程訪れていますが年齢のせいでしょうかね…かつてはきついって思わなかったのに。分岐。月見坂八幡堂へ。八幡堂。八幡堂の由来…『やおよろずの神々のなかで、八幡神は最も早く仏教にとけ...
View Article鹿嶋神社 (鹿島神社) ・ 毘沙門堂 (西目屋村村市)
御祭神は武甕槌命。かつては毘沙門堂であり、大同2年の勧請と伝え、貞享4年検地水帳によりますと、堂地2畝20歩・境内林1町7反余が除地。明治3年に神仏分離によって鹿島神社に改称し、川原平村・藤川村から勧請した稲荷神2神と居森平村・砂子瀬村から勧請した山神2座を相殿として祀っています。出羽国扇田の鉱山山師津国屋藤八寄進の石灯籠一対、弘前親方町竹内勘六(尾太鉱山最盛期の経営者)寄進の御神灯籠一対(享保6年...
View Article曹洞宗 大谿山 豪徳寺 (東京都世田谷区)
地名としても駅名としても存在しているのでかなり知名度が高いお寺ですよね。一対の狛犬がお出迎え。松並木が美しい参道。ちなみに壁の向こうは世田谷城の堀跡。タモリ倶楽部でやっていました。山門。不許葷酒入山門。大谿山豪徳寺(曹洞宗)…『豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とする。天正12年(1584)中興開山門菴宗関(高輪泉岳寺の開...
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